5月12日 裁判員10年見えた課題「1」

朝日新聞2019年5月10日31面:市民感覚揺らぐ量刑判断 1歳8ヵ月の女の子の上半身には複数のあざが残っていた。体重は、標準を大きく下回る6.2㌔。写真を見た裁判員の男性は心を決めた。「最大のよりどころであるはずの親からの虐待は殺人に近い。社会に警告を与えないといけない」大阪地裁で2012年にあった傷害致死事件の裁判。無罪を主張する両親に、この裁判員らが出した結論は懲役15年だった。検察が求めた懲役10年の1.5倍という異例の重さ。判決理由には「児童虐待が大きな問題と認識されている社会情勢も考慮するべきだ」ーと盛り込んだ。裁判員の怒りが込められた判決は二審でも維持されたが、2年後に上告審で破られた。最高裁は「他の裁判との公平性」を重視し、一審について「これまでの量刑の傾向から踏み出す具体的な根拠が示されていない」と判断。両親の刑をそれぞれ懲役10年と8年に下げた。最高裁が自ら、裁判員裁判の結論を見直したのは初めてだった。
市民感覚が裁判に入れば、量刑の相場が変わるー。当初から予想された影響だ。実際、子どもや女性が被害者になる虐待や性犯罪では重くなる一方、介護疲れをきっかけとした殺人などは刑が軽くなった。その市民感覚に基づいた量刑が最高裁で否定された。裁判員だった男性は「我々は最高裁と違って被告や証人と直接向き合った。軽く見られたようでとても残念だ」と漏らした。
 感情先行懸念も 市民感覚の影響は、量刑にとどまらない。神奈川県の東名高速で17年、「あおり運転」を受けた夫婦が死亡した事件。被告の弁護人を務めた本間久雄弁護士は18年12月の公判を前に「無罪を主張する」と報道陣に説明した。「事故は被告が停車した後に起きており、運転との因果関係はない。危険運転致死傷罪の要件を満たさない」という理由だった。数時間後、テレビの著名なキャスターの見解がネットで配信された。「受け入れがたい」「裁判員も理論武装しなくちゃ」「無罪主張も許さない」という圧力を感じた本間氏は横浜地裁の公判で「頭をリセットし、予断を持たずに判断していただきたい」と裁判員に求めた。事故の悲惨さは認めつつ、どのような行為が犯罪になるのかはあらかじめ法律で定めるという「罪刑法定主義」を何度も訴えた。
だが、主張は退けられた。夫婦と同乗していた長女は「家族一緒に死ねばよかった」と語り、検事は声を詰まらせながら懲役23年を求刑。裁判は危険運転致死傷罪の成立を認め、懲役18年を言い渡した。裁判員の40代女性は会見で打ち明けた。「法律が分からないので、個人的な感情が大きくなったのかもしれない」「罪刑法定主義に違反した疑いがある」。法律専門誌にはさっそく刑法学者の論文が載った。ベテラン裁判官も「許せないという感情が影響し、ストライクゾーンwp広げすぎた印象だ」と語った。弁護側はプロの裁判官の判断を仰ぐため、東京高裁に控訴した。
「何だったのか」 裁判員裁判の結論が、裁判官だけで審理する控訴審で見直される割合は、増加傾向にある。制度開始直後の10年は「市民参加」を尊重して5%にとどまったが、15年は16%に上った。まるで導入から時間がたつにつれ、「遠慮」がなくなっているようだ。控訴審で刑が重くなったケースもある。団体職員の小田直之さん(63)は17年、硬論の末に妻を殺害したとして殺人や死体遺棄罪に問われた夫の裁判を東京地裁で担当した。求刑は懲役18年だったが、判決は妻に布団をかぶせた行為に「殺意までは認められない」として傷害致死罪を適用し、懲役10年を導いた。急性胃炎になるほど悩んだ末の「納得の判決」だった。
ところが、検察側の控訴を受けた東京地裁は翌年、窒息死するかもしれなという「末必の殺意」を認定してこの判決を破棄し、審理を地裁に差し戻した。驚いた小田さんは、一緒に判決を考えた裁判官にメールしたくなった。「市民感覚を大事にと言っていたのは、どこ行っちゃったんでしょうね」。文章にしてみたが、「不毛だ」と思い直し、送信しなかった。控訴するなとは言わない。ただ、「被告に有利な方向の判決については尊重されるべきだ」と思う。小田さんの念頭にあるのは米国の陪審制だ。市民だけで有罪・無罪決め、検察は無罪判決に控訴できない仕組みになっている。
判決を決めるための評議は「たがいを尊重し、遠慮もせずに意見をぶつけ合う健全な空間だった」と今も思う。「あれは何だったんだろう」と、疑問はくすぶったままだ。(阿部峻介) ◇市民が刑事裁判に加わる裁判員制度がスタートして21日で10年。裁判員経験者らへの取材を通じて、見えてきた課題を検証します。

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