5月11日 寂聴 残された日々 47御大典

朝日新聞2019年5月9日23面:上皇、上皇后にしみじみと 1922(大正11)年5月15日生まれの私は、この5月15日で満97歳になる。よく食べるし、よく眠るし、今でも、こんな仕事をしているのだから、まだ死にそうもない。長生きが何より望ましい人間の幸福だったような時代は、とうの昔になくなって、今ではなかなか死ねない人生が、人間の老後の不幸を招いているように考えられている。それでも長生きしたおかげで、私はさまざまなこの世の習わしを見たり、経験したりしたことで、得をしたように思う。月最近、御代替りがあったが、私の幼時の記憶のなかで、最も華々しく晴れやかだったのが、御大典のお祝いだった。御大典が何だかよくわからないまま、大人たちがはしゃいでいるのにまきこまれて浮き浮きしていた。私の生まれた徳島の町ではお盆でもないのに、町じゅうで阿波踊りをするといってはりきっていた。早くから三味線や鐘、太鼓のおさらいの音が通りのあちこちから聞こえはじめていた。
私の生まれた町内でも、子供より大人が浮き上がっていた。さしもの職人だった父は10人ほど住みこみ弟子をかかえていたが、彼等に踊りの連を造らせて、練習させていた。それでもまだ飽きたらないのか、近所の子供たちを集めて変装させて、町を踊って歩かせようとした。父だけでなく、大人たちが、変装行列に熱を出して、ひそかにその用意をしているのが、子供の目にも楽しそうに見えていた。近所の私の遊び友だち数人を集めて、父は歴史上の人物に変装させることを思いついた。聖徳太子や、天照大神など、父の考えつく変装は子供たちには人気がなく、結局、子供たちのよくなじんでいる浦島太郎や桃太郎や、弁慶になりたがった。
子供たちの家族まで父の仕事場に集まって、新聞紙でかぶとを折ったり、よろりの色づけをしたりした。御大典の当日は、町の通りという通りは、変装の人たちの行列で埋まり、その人々が踊りだすと、どの連も負けじと三味線を鳴らし、太鼓を叩くので、賑やかに湧き立っていた。「ごたいてん」というのがどういうこと かわらないまま、こんな面白い日が1年に何度もあればいいのにと踊っていたことを思いだす。
96歳で迎えた御大典は専らテレビを見つづけていた。上皇、上皇后になられた両陛下に、しみじみ御苦労さまでしたと掌を合わせた。美智子上皇后さまと、最後にお目にかかった時、お若い時から優等生で勉強ばかりして、男友だちなど一人もいなかったので、「はじめてお電話をいただいたり、好きだといって下さったりした男の方は、陛下だけでしたから、すっかり夢中になって、家族じゅうの反対を押しきって、陛下との結婚をしたのですよ。生涯に陛下は私のだた一人の男性なの」とおっしゃった晴れやかなお顔が忘れられない。どうか、あくまでもおだやかなお二方のこれからのお時間を末永くお楽しみお遊ばしますようにと、お祈り申しあげます。

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