5月1日 政治がルールを無視する時代

朝日新聞2019年4月28日3面:日曜に想う 編集委員 大野博人 うその情報を操作して政治が一度くった流れは、正しい情報によっても簡単には変らない。日本で公開された映画「記者たち 衝撃と畏怖の真実」にあらためてそのことを思った。2001年9月11日、米国は同時多発テロに襲われた。ブッシュ政権は、ビンラディン容疑者の指令でテロを実行した過激派アルカイダだけでなくイラクも反撃の標的とした。サダム・フセイン大統領の独裁政権がテロ組織とつながっていて大量破壊兵器も隠しているというのが理由だった。大手メディアもそれに引きずられてニュースを流した。だが、多くの地方紙を傘下に持つナイト・リッダー社の記者たちは、政権の主張に疑問を抱く。取材を重ね、根拠がないことを暴いた。その実話の映画化だ。「ほかのすべてのメディアが政権の広報になるなら、やらせておけ。われわれは子どもが戦場に送られる人たちのために書く」。編集長は記者たちに宣言し、ぶれない紙面を展開した。
けれど激しい避難にもさらされる。主要メディアとは違う記事は信用できない、正義のために戦場で戦おうとする人たちに冷水を浴びせる気か・・。結局、大義のない開戦を止めることはできなかった。フセイン政権は倒れたが、中東は混迷の度を深め、おびただしい数の犠牲者や難民を出し続ける状況をもたらした。最後まで大量破壊兵器は見つからず、大手紙も信頼できない情報で記事を書いたと認めたけれど。開戦前後、パリで取材をしていた。対イラク武力行使に向かって突っ走る米国にフランスが歩調を合わせるかどうか。
見極めに追われる。まるでナイト・リッダーの記者たちのように、フランスは同調を迫る米国の圧力にされされ重苦しい空気に包まれていた。超大国の同盟国に真っ向から反対すれば、それによって被る打撃は小さくない。日本を含め多くの国が米国支持に傾斜していった。しかし、正当化できない戦争なら加担するわけにはいかない。米国開戦準備を加速する中、フランスの対テロ捜査幹部に会った。9・11以来、欧州のイスラム過激派の捜査で中心的役割を担ったひとりだ。
「私たちが摘発した者たちは、だれもイラクとつながりがなかった」。イラク攻撃を正当化する理由は、まったく見つからないという。「根拠もなく戦争に踏み切れば、それへの反発で小ビンラディンを100人も登場させるはめになる」。しばらくあと、シラク仏大統領も「小ビンラディン」という言葉を使って武力行使への懸念を語った。あやしい情報に基づく政治的決定が招く危険。当然の指摘だったが、そんなフランスを「フセイン支持者」と中傷する記事を米有力紙で読んだ。政治がうその情報でつくりだした戦争への気分が、情理を踏み倒す様に愕然とした。
「社会が通常の状態でないとき、政治家は自分を有利にするために、自由で公正な選挙をゆがめ、政治制度の基本的規範をないがしろにし、反対勢力を中傷することをいとわない」。気鋭の米政治学者ヤシャ・モンク氏が近著「人々対民主主義」の序文でそう述べている、たしかにテロ後の米国社会は通常の状態ではなかった。だが、政治家が根拠のない情報をふりかざして「基本的な規範」をないがしろにし「反対勢力を中傷」する姿勢はその後も退けられるどころか、世界各地に広がっている。ポピュリズム政治として。
モンク氏は、経済のグルーバル化や移民などに揺さぶれて社会や政治の基本的な輪郭が問い直されている今は、通常の時代ではないのだという。「意見が異なる勢力の対立は深く、敵意をはらみ、ゲームのルールについてさえもはや一致できなくなっている」映画が描く16年前の記者たちの苦境が今日の民主主義が直面する試練に重なる。大儀なき戦争を支持しながら、いまだにまともな総括さえしない日本は、この試練を乗り越えられるだろうか。

 

 

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る