5日てんでんこ 皇室と震災Ⅱ【20】

朝日新聞2017年8月2日3面:皇后さまは石牟礼さんに料理を取り分け、「今度、水俣に行きます」と告げた。 天皇、皇后両陛下、とくに皇后さまと水俣との縁は、2012年夏ごろにさかのぼる。水俣病患者に寄り添ってきた作家の石牟礼道子(いしむれいみちこ)さん(90)が知人を介して、皇后さまに「一度水俣にお越しいただき、胎児患者とお会いになってほしい」と伝えた。皇后さまはその際、皇太子さまのことを気にかけていた様子だったという。
皇太子さまが小和田雅子さんと結婚する際、祖父江頭豊氏が水俣病原因企業チッソの社長を務めた経歴が問題とされ、交際が途絶えたことがあった。皇太子さまは1993年1月19日の婚約記者会見で、交際の中断について「チッソの問題もあって、宮内庁の方でも慎重論が出ておりまして」と説明した。
13年7月、石牟礼さんと皇后さまは06年に亡くなった社会学者・鶴見和子さんの命日をしのび、東京都内のホテルで開かれた「山百合忌」で一緒になった。パーキンソン病で手足が不自由にな石牟礼さんのために、隣に座った皇后さまが「これ、おいしいですよ」と料理を取り分け、2時間ほど言葉を交わした。皇后さまは最後に、「今度、水俣に行きます」と石牟礼さんに告げたという。
石牟礼さんにとっての原体験の一つは1931年、チッソの前身の日本窒素肥料水俣工場を昭和天皇が訪れたことだった。事前に警察官が来て、病気の祖母について「天皇陛下の目に触れぬよう、恋路島に隔離しておけ」と言う。父が抵抗して「それは天皇陛下のお心でございますか。わしは母親の首に縄をつけて連れて行くのは、子として申し訳ない。陛下の赤子として、いさぎよく腹切って死にます」警官の腰のサーベルに手をかけたため、警官があわてて「それはいかん」と収めて事なきを得たーとの逸話が、代表作「苦海浄土」などに記されている。
当時4歳だった石牟礼さんは田んぼに敷かれたござに正座し、水俣駅から工場に向かう天皇陛下の列車を迎えた。大人たちが一斉に頭を下げる中、「どんな人が乗っとんなるか。人間じゃろうな」とあずき色の車に目をこらしたが、窓しか見えなかった、とも。
13年10月。石牟礼さんは皇后さまに手紙を送った。「水俣にお越しの節は、胎児性水俣病の人たちに会っていただければ幸いでございます」。その手紙がきっかけで、両陛下の水俣訪問は、想定外の方向に動き出す。(北野隆一)

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