4月6日 ザ・コラム 駒野剛(編集委員)

朝日新聞2018年3月29日16面:官僚とは「国民のため」か「己のため」か 20年がたった。1998年1月26日は寒い日だった。夕刻、大蔵省中央のらせん階段を大勢の男たちが上がっていく。「省中の省」と呼ばれ、官僚機構の頂点にあると自他共に認めた役所に、東京地検特捜部が強制捜査に入った瞬間を眺めながら、私は「官僚とは何者か」と考えていた。当時、大蔵省を取材する記者が所属する「財政研究会」の朝日新聞キャップとして、同僚と銀行破綻や財政改革などのニュースを追っていた。その、取材対象の人々が、収賄容疑で逮捕され、過剰接待の責任を問われて、役所を追われ、降格された。
金融部局は分離され、名前も財務省になった。自民党幹事長だった加藤紘一氏は、「あれは罰なんだ」と言った。自体の処理にあたった元官僚から、決裁文書改ざんを受けて便りをもらった。「今回の事件はあってはならないことです。世間様の信頼を失ってどうにもなりません。過剰接待で大蔵省は倒産し財務省で再生するはずだったのに、また倒産です。ことばもありません」。私も同感だ。
1948年大蔵省入省、国税庁長官を異例の3年間も務めた官僚がいた。6年前に亡くなった磯邊律男だ。東大法学部在学中に学徒出陣で陸軍士官となり、敗戦後、故郷に戻ったが「食えないので」大蔵省の試験を受けた。縁あって、この人の裁晩年、何度か杯を交わし、話を聞きた。国税庁や金融畑を長く歩み、多くの大事件に遭遇した。国税庁査察課長時代に代議士田中彰治の脱税、銀行局総務課長で富士(現みずほ)銀行の不正融資、国税庁調査査察部長に戻って、中曽根康弘元首相の有力支援者で殖産住宅会長の脱税、翌年証券局審議官で日本熱学粉飾決算・・。付いた異名は「大蔵省の事件屋さん」。
そして75年7月に東京国税局長になって直面したがロッキード事件である。米航空機メーカーから旅客機や軍用機の選定を巡って、巨額の賄賂が行き交い、前首相田中角栄ら受け取った政治家や、商社首脳らが処断された大型疑獄事件だった。立件は容易ではなかった。事件の表面化が米議会発だった上、政財界のトップらの犯罪だ。捜査着手に検査が腹を固められない中、東京国税局が動き出す。大物右翼で、資金力をテコに政界中枢に食い込んだ。ロッキード社の代理人、児玉誉士夫。磯邊は部下に児玉の所得を調べさせる。
当時、法務省刑事局参事官で、その後、東京地検特捜部検事となって事件解明に関わった堀田力さんは「この人ほど部下の信望を集め、検察から信頼された国税幹部はいない」と磯邊を語る。国税局の動きは捜査当局の決意を促す呼び水になっていく。76年2月24日、国税局査察部と特捜部は、児玉の自宅など27カ所を家宅捜査する。米国での発覚から20日ほどの電撃的な着手で突破口が開く。
児玉金脈について磯邊は「戦後の残滓」「おかしいおかしいと思いながら手をつけられなかった問題」と考えていた。査察の前日、東京・大手町にあった国税局に、査察官ら約300人を集めた。「この事件を解明できるかどうかに、税務の威信がかかっている。徹底的に追求しよう」。そして加えた。「責任は私が取る」。時の蔵相は角栄の盟友、大平正芳元首相である。査察官らのむせび泣きが聞こえた。
磯邊の巨悪追及へ執念の根っこには戦争体験があった。終戦間際、砲兵隊を率いて鹿児島県薩摩半島にいた。配備された4門の大砲に砲弾はわずか72発。打ち続ければ数分でなくなる。どうやって戦うか、上官に問うと「いざというときには、うなるほどの砲弾が来る」とごまかされた。なぜか。「軍人は自分の階級を上げることしか関心がなく、国や国民のためにどうあるべきか考えなかったからだ」。だから。うそや不正を許さぬことが国民のためであり、生き残った己の使命と考えた。「正義なんてありますか」。私の問いに「ある」と断言した。しかし、正義は所与のものではない。追及してこそ得られる。先日、富士山麓にある磯邊の墓を訪ねた。肩書などは記さず、ただ、「やすらぎ」と刻まていた。そんな大蔵官僚もいた。今は昔のお話である。

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る