4月3日 白球の世紀53

朝日新聞2018年3月26日夕刊10面:地元ファン熱欠く理由 1936(昭和11)年の第22回全国中等学校優勝野球大会朝鮮大会は、大会最多の38校が参加した。メンバー全員が朝鮮人のチームは13校。あとの25校は全員日本人か、日本人と朝鮮人の混成チームだった。ー朝鮮人チームにもっと多く参加してほしい、日本人チームと肩を並べるほど強くなってほしい。日本と朝鮮の融和を図る見地から、当時の大会関係者は、そう考えた。
審判員の一人が語る。「一般に内地人のやうにファンのほうが選手よりも熱心になるといふやうな熱狂的なところが(朝鮮には)ない」(39年8月3日付大阪朝日新聞朝鮮版)別の大会委員も言う。「中等野球に対する銃後の後援に熱があり、親の理解があるから松山や高松は強くなつたんだと私は考へる、朝鮮の中等野球が何故強くないか? この原因もその辺にあるに違ひない」(40年8月3日付朝鮮版)
朝鮮のチームは地域的な支持基盤が弱いという指摘だ。同時に日朝間には大きな社会的格差が存在していた。各種の資料によると、朝鮮の普通学校(日本の小学校に相当)への就学率(36年)は、25%(男子40.0%、女子11.4%)。日本統治下の挑戦で義務教育制は実施されなかった。
普通学校を卒業後、さらに高等普通学校や実業学校などで学ぶ朝鮮人は、社会全体からみれば、極めて少数のエリート的存在だった。37年当時、朝鮮在住日本人は約63万人、朝鮮人約2200万人。日本人生徒は16の中等学校に7313人、朝鮮人生徒は27人が学んだ(総督府資料)。
ボール、グラブ、バットなどの野球用具は値段が高いという事情もあり、朝鮮では野球よりサッカーに人気があった。21~40年に20回開かれた朝鮮大会で朝鮮人チームは3回、決勝に進んだ。しかし、全国大会に進出したのは徽文高普の1回にとどまった。(上丸洋一)

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