4月29日 オトナになった女子たちへ 伊藤理佐

朝日新聞2019年4月26日33面:その時、何してた? 「レイワかぁ~~」とか、言っちゃって。元号発表の瞬間のわたしの発言ときたら、改元体験2回目の余裕こちゃって、ちょっとヤな感じの発言だった気が。30年前、「平成」の額の、あの瞬間を見たもんだから、なんか今回の「見なきゃ」となって、ふだん、ラジオ生活の今年50歳は、4月1日、「テレビの前」に座っていた。春休み中のムスメ(9)も誘って。だって、ムスメは将来、「えー、〇〇君、令和生まれ?わかーーい」とは、言う。絶対、言う。で、若い〇〇君を目で流しながら、年の近いほうに「ねーねー、令和って出た時、何してた?」って、聞く。絶対、聞く。飲み屋で。以上のコトから、この瞬間を見るのは、味噌でいうところの大事な「仕込み」ではないだろうか。だって、「平成 って出た時どこで何していた?」は、けっこう使った。わたしの「その時」は、これ。→上京して1年目。風呂なしアパート四畳半。コタツで寝ていた。学生。漫画のアシスタントしながら生活費稼ぐ。貧乏なので痩せていた。(ここ。笑うとこ)。ふと起きて、テレビをつけたら画面が暗く「あ・・」と。やっぱりそうで、しばらくして、あの「平成」を、見た。すごく空が暗くて・・ なーーんて、言うと、「もう働いていた」「まだ中学生でした」「生まれてません」と、色々わかるのだ。ちなみにうちのヨシダサンは「伝染るんです。」の1話目から2話目を描いて、友達と飲んでいたそうです。味噌でいうと発酵している。このように「その時、何していた?」ってある。その時の自分を覚えている出来事や事件が、ある。御巣鷹山の飛行機事故の時はまだ長野の山に墜落したのでは? と、大騒ぎだった。平成になった時は四畳半で、地下鉄サリン事件の時は妹と母が大学の卒業式で地下鉄に乗っていて、何時間も気を揉んだ、東日本大震災の時はムスメが1歳だった・・ 思うと、悲しい気持ちがセットだ。でも「令和」は違う。令和、とょっといい気がした。何様だ。 (漫画家)

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