4月21日 甲子園ベストゲーム47兵庫

朝日新聞2018年4月17日16面:野球は一人じゃできん 九回。諦めた金村は荒木に言った「勝負せえよ」 その試合を経て、傍若無人な野球少年は少し大人になり、ヒーローになった。1981年、早稲田実(東京都)との3回戦。報徳学園の4番でエースだった金村義明は言う。「野球の原点を教えてもらった」
5万5千人で埋まった甲子園球場。「関西の女子高が全部もっていかれたというくらい、早稲田が人気だった」。相手には、この夏の「主役」がいた。前回大会で1年生ながら投手として準優勝に貢献し、端正な容姿もあいまって「大ちゃんフィーバー」を起こした荒木大輔だ。金村は燃えた。「天性の負けじ魂がメラメラと。負けるわけにはいかない」望み通り、投手戦となった。だが、0-0で迎えた七回、金村の強い気持ちが一気にしぼむ。集中打を浴び、3失点。「ああ終わった。100%負けた」九回表、なんとか3人で片付けた金村は、マウンド付近で荒木を待った。ボールをポンと投げ、伝える。「勝負せえよ」
ボールを受け取った荒木は、実にさわやかな笑顔だったと記憶している。なぜ、声をかけたのか。金村はその裏、先頭打者だった。「意地で一発ホームラン打って、散ろう」と。打算もあった。「『勝負せえよ』と言うたら、絶対初球はまっすぐ」思惑通り、荒木の初球は真球だった。しかし、打球は二遊間へ。懸命に走って間一髪の内野安打にした。勝利への望みはつないだ。だが、金村が浮かべた苦笑いは諦めを意味していた。
「申し訳ないけど、チームメートなんで誰も信用していなかったから」兵庫県宝塚市で育った。緑色が際立つ報徳のユニホームに憧れた。中学から報徳へ。父親から反対されたが、「報徳にいって阪急ブレーブスにいって、お金は返すから」と泣いて懇願した。「夢と希望だけで入った」。思いが強い分、仲間への要求は高く、ミスにいらだちを隠せなかった。「僕が打って抑えて勝つのが報徳」そんな金村を、仲間が救う。無死一塁から死球、6番・岡部道明の左翼線適時二塁打、さらに1死後に途中出場の浜中祥道が2点二塁打を放った。「まさか同点になるとは・・」。生き返った金村は、十回表を三者凡退で終わらせた。その裏、2死二塁。金属音が響き、拍手と悲鳴が入り交じる。5番・西原清昭が左越えに運び、二塁走者だった金村はガッツポーズをして本塁を踏む。マウンドで荒木がしゃがみ込んでいた。夏の主人公が入れ替わった瞬間だった。
仲間に救われ、サヨナラ勝ち。そして頂点へ 金村が生まれる前の1961年、43回大会1回戦、報徳学園は倉敷工(岡山)に延長十一回で6点を奪われたが、その裏に取り返し、十二回にサヨナラ勝ち。「逆転の報徳」と呼ばれた。その先輩たちをほうふつさせる戦いだった。金村は思い返す。「普段打てない選手が打って、追いついて。その後の試合は、自信の塊。どことやっても負けることはない、みたいな」。準決勝で工藤公康を擁する名古屋電気(愛知=現・愛工大名電)を破ると、決勝では金村の100球完封もあって、京都商を2-0で下した。
独りよがりで窮地に立ち、仲間に助けられ、大切さに気づく。そして、ライバルを次々と倒していく。マンガのようなストーリーは、全国制覇という形で幕を閉じた。金村はドラフト1位でプロ野球近鉄に進み、現役引退後は野球評論家やタレントとして活躍している。2018年夏、55歳になる。あの夏の話になると「早稲田実のだけは覚えてんねん」と真顔になる。「甲子園の力と報徳の伝統と、野球は9人でやるスポーツだなというのを、つくづく感じたね。野球の原点というか、1人じゃできんもんやなと教えてもらった」
夏は7度制覇 全国3位タイ 最近、聖地・甲子園のおひざもとの受精は、慌ただしい。兵庫県高校野球連盟の笠間龍夫事務局長は、県内の勢力図を、「ここ数年は戦国」と表現する。夏7度の全国制覇は、12度の大阪、8度の愛知に続き、全国3位タイ。他にも4都県が並ぶが、野球先進県の一つだ。その兵庫勢が最も痛感しているのは、夏の地方大会を連覇することの難しさだろう。東西2校が代表になる記念大会が絡んだ79.80回と89.90回で報徳学園が甲子園に出場した以外は31年間、県内の連覇がない。成し遂げたのは1985、86年の東洋大姫路までさかのぼる。
この昭和の終盤あたりは、東は報徳学園、西は東洋大姫路の「2強時代」と言われた。ただ、30年以上も県高野連に関わる笠間事務局長は、「その2校に割って入る学校はたくさんあった」と振り返る。1979年には明石南、83年は市尼崎、84、87年は伝統校の明石と、公立勢が甲子園に進んでいる。
平成に入ると、群雄割拠化が進む。91年には村野工の安達智次郎=元阪神=、黒田哲史=元西武=、らが甲子園の土を踏む。93年の75回大会は古豪・育英が甲子園へ。大村直之=元近鉄など=を擁する打線は大会新の30犠打を記録。守備では3投手を用いて全国の頂点に立った。2000年は栗山巧=西武=を擁し、再び甲子園へ。坂口智隆=ヤクルト=らが輩出した神戸国際大付が夏の甲子園に進むのは、もう少し先だ。
「2強」も黙っていない。報徳は1981年の63回大会で選手として優勝を経験した永田裕治が監督となり、2002年春に右腕の大谷智久=ロッテ=や尾崎匡哉=元日本ハム=を擁して2度目の優勝。10年夏の92回大会では4強入りした。東洋大姫路は、06年夏の88回大会で乾真大=元巨人など=の活躍もあり、8強入り。近年も松原貴大=ヤクルト=といったドラフト1位になる素材が巣立っている。
公立勢も力がある。姫路工は右腕の真田裕貴=元巨人=、市尼崎は金刃憲人=元巨人など=、宮西尚生=日本ハム=らの好左腕が育った。伊丹北は好打者の中島宏之=オリック=が出た。公立、私立の区別なくしのぎを削る背景には県高野連が設置する「指導者委員会」の存在がある。各校の監督らを県外強豪校の視察に派遣したり、トレーニングの専門家を講演会に招いたり。「1強、2強じゃなく、県全体で戦っているのは兵庫県の誇り」と県高野連の福留和年理事長は語る。
100回大会世代が動き出した昨秋は、県大会を明石商が制し、4強に西脇工、市尼崎と公立勢が3校を占めた。混戦・兵庫は、今後も続きそうだ。

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