4月19日 白球の世紀67

朝日新聞2018年4月13日夕刊10面:戦闘帽かぶり練習続け 1941(昭和16)年8月12日、第27回全国中等学校優勝野球大会決勝。0-0で迎えた十三回裏、日新商(現日新)2番打者の打球は右翼手の前で跳ねて三塁打になった。浪華商(現大体大浪商)は、一打サヨナラのピンチに立った。
浪商のエースだった今西錬太郎(93)は次打者の初球にカーブを選んだ。「最期、やっぱり逃げたんだろうね。スイフト(速球)でいっとけば・・」と、今西は77年前の一球を悔やむ。左翼前に痛打を浴びて、浪商は敗れた。この決勝戦の数日後、日新商の校長は、選手たちに甲子園大会の中止を伝えた。
「よく聞け、君らは甲子園には行けない。これもお国のためだ。辛抱しろ」(80年8月7日付朝日新聞)浪商のメンバーも大阪大会のあと、甲子園大会の中止を知った。「決勝で負けたあとでしたから、中止と聞かされても特にどうという感じはなかったですね」と今西は言う。41年12月8日、日本は米英との戦争に突入した。
翌42年春、選抜中等学校野球大会が中止になった。夏の大会も朝日新聞社の手を離れて、文部省などが主催する総合競技会に取り込まれることになった。同年7月12日、朝日新聞は「全国中等野球大会終止」の社告を掲載。「接収に当り・・一片の通牒のほか何等委曲を尽くすことなかりし当局の態度に対しては、遺憾を禁ぜるをものがある」と不満を表明した。
8月23日、文部省など主催の中等学校野球大会が、甲子園で始まった。徳島商と京都の平安中(現龍谷大平安)が決勝に進出。徳島商が延長十一回8-7で接戦を制し、優勝を飾った。戦前、中等学校野球の「全国大会」はこれで幕を閉じる。今西は振り返る。「それでもぼくはねえ、いつか大会が再開されるだろうと信じて、戦闘帽をかぶって、毎日毎日、練習だけは休まず続けたんですよ」(上丸洋一)

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