4月19日 新聞と読者のあいだで 湯浅誠

朝日新聞2019年4月16日17面:「取り上げない」というリスク 「お金のない人が、ニュースを知ろうと思ったとき、情報を得る手段と言えば?」ーこう大学生に聞けば、ほぼ全員が「スマホ」「ネット」と答えるだろう。しかし、今秋に予定される消費税にともなう低所得者対策としての軽減税率(据え置き)の対象になったのは、スマホでもパソコンでもテレビでもなく、「定期購読が締結された週2回以上発行される新聞」だった。「新聞が重要な情報源だという国民はたくさんいる」という意見も当然あるだろう。私は新聞への軽減税率の適用自体を批判するつもりはない。私が違和感をもつのは、それについての議論が、朝日新聞紙上にほとんど展開されなかったことだ。朝日新聞のデータベースを見ても、軽減税率適用を求める新聞大会決議が、紙面の目立たないところにそっけなく載るだけ。新聞への適用が決まった先には、社説が「私たち報道機関も、新聞が『日常生活に欠かせない』と位置づけられたことを重く受け止めねばならない」「社会が報道機関に求める使命を強く自覚したい」(「軽減税率『再分配』を考えていく」、2015年12月16日朝刊)と触れたが、なんだかあまり都合のよくないことが起こったときの閣僚答弁のようだ。ホントの閣僚答弁だったら、朝日新聞は「~と歯切れ悪く語った」とでも評するのではないか。朝日新聞社を始めとする新聞社の立場は当然、あっていい。「ネットで流れるニュースだって、元をたどれば新聞記者がとってきた情報だ」と、堂々と新聞への権限税率適用の正当性を主張すればいい。
しかし世の中にはそう思っていない人たちもいる。だから考える素材を提供する必要がある。新聞は、健全な民主主義の発展のために、その使命と役割を担ってきた。それなのに自社が絡むと議論が低調になり、考えるための多様な素材も紙面に載らない。読者から「新聞も他の商品と同じく10%にすべきだ。上げないなら、新聞社あるいは新聞協会としてしかるべき説明をすべき」(70代・男性)との声もあったが、朝日新聞の幹部が、反対する人と対談し、世の中に「どうか」と問うくらいの度量と企画力があってもよかったのではないか。そうでないと朝日新聞が「多様なお剤を提供する」と言うときは朝日が取り上げたいときで、取り上げたくないときは議論低調なままやり過ごす、人々の目が向かないようにするんだ、と見えてしまうのではないか。民主主義の成熟よりも自社利益を優先する新聞だという「邪推」が成り立ってしまうのではないか。それって、朝日が誰かさんを批判するときによく使う論法じゃなかったっけ? 「不都合なことには目を向けない」「まともに応えない」と。
この件について、佐古浩敏ゼネラルエディターに聞いた。紙面展開が少なかったのはなぜですか? 「会社としては『民主主義を支え活字文化を守るためには、知識への課税は最小限にとどめるべきだ』『書籍、雑誌などを含む活字媒体への軽減税率適用の必要性を訴えていく』との考えを示しています。世の中に表明している、この立場を横に置いて多様な意見を紹介しても『アリバイづくり』に見られるだけではないか、という懸念がありました」「新聞への軽減税率適用の是非を超えて、『新聞は民主主義社会のインフラだ』とみなんさんに認めてもらえるような良質な紙面を届け続けることが、結果的にみなさんのご理解を得る近道だと考えています」
・・それなんですよね。取り上げないのは、自社への利益誘導と見られるおそれもある。私が懸念するのは後者のリスクで、それに対する回答が「良質な紙面を届け続ける」だけでは弱いのではないかと思うんです。佐古さんの言葉は、好意的に見れば「職人気質の潔さ」とも言えますが、取り上げないことで「不都合なことから目を背ける」と見られるリスクを軽視しているなら、今という時代に合わせたセルフプロデュースができていないとも言える。「たしかに今の時代、メディアの当事者性を意識した自己開示をしていく必要性も理解しています。これからの課題です」と、佐古さんは話した。
取り上げるリスクと取り上げないリスク、たしかにどちらもある。だが、朝日新聞が「良質な紙面を届け続ける」と愚直さを示すことが、いつでも好意的に評価されるとはかぎらない。その態度だけで、「倒れゆく巨像」の運命を免れるか、私は疑問に感じてもいる。今秋に向けた消費増税の議論の中では、後者のリスクを意識した紙面が展開されることを期待したい。

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