4月17日 耕論 作品に罪はない?

朝日新聞2019年4月11日15面:一律自粛表現の場苦しく 多田憲之さん 東映社長 1949年、北海道生まれ。72年に東映に入社。北海道支社長、秘書部長などを経て2014年から現職。 ピエール瀧被告が出演する作品を公開するかどうか、配給会社として判断を迫られました。逮捕直後から、映画製作委員会の参加社と協議しましたが、議論百出。編集を求める意見も出ましたが、結局「作品に罪はない」と、一切編集や削除をせず、予定通り公開することにしました。
記者会見で発表すると、すさまじい数の賛否両論が寄せられました。ネットの書き込みには「犯罪社会」など過激なもののありました。一方、参道の電話やメールもたくさん頂戴しました。上映館も出資者が減るのではとも心配しましたが、今のところ、一つもありません。劇場で上映する映画は、有料で見たい人や鑑賞の意思を持った人が来るクローズなメディアです。見るか見ないかは、お客様に決めていただければいい。その代り、出演者についてはしっかり告知し、前売り券の払い戻しにも応じることにしました。ただ、映画ならいつも同じ判断をするということではありません。作品の製作委員会の構成や内容によって判断は分かれます。一律に公開、非公開の線引きをするのは不可能だと思います。私個人としては、十把一絡げに公開中止や配信停止の動きが広がっている最近の風潮に、違和感を覚えます。何十人もの俳優さんやスタッフが長い年月をかけて作り上げた作品が、その中の1人のせいで没になる。さらに過去の作品までもが自粛となる。江戸時代の五人組や戦時中の隣組のような、連帯責任と相互監視のようなものを連想してしまいます。
例えば部員1人の不祥事のより、高校野球のチームが出場辞退することがあります。チーム全員でたばこを吸ったとか、酒を飲んだというならともかく、ムラ社会的な窮屈さを感じます。企業も昔はそれほど過敏ではなかったと思います。インターネットやスマホが普及し、大変便利になった半面、時として縮こまりがちになってはいないでしょうか。SNSでの炎上が怖いとか。株価が下がったらどうしようとか、そういうことを恐れ、「よそがやるからうちも」という同調圧力が働いているのではと思います。クリエーティブな世界では、優れた才能を持つ人々が、自由闊達に表現方法を追及していくことが大切です。もちろん、時代に応じた規制を受けるのは当然です。ただ今回の件に加え、時代背景を考えずに、「喫煙シーンは駄目」などと、一律に自粛する風潮が広がると、表現の場が息苦しくなってしまうのではと恐れています。私たちの原点は大衆の娯楽であり、庶民が喜んでくれる作品をつくることです。政治やイデオロギーのための映画ではありません。(聞き手・池田伸壹)
薬物汚染子どもたちに影響大 尾木直樹さん 教育評論家 1947年生まれ。基法政大学教授。中、高、大で44年間教壇に立つ。近作に「尾木ママの孫に愛される方法」。 「作品と犯罪は別だ」「作品に罪はない」「過去の作品まで封じるのは行き過ぎ」という意見は、一般論としては理解できます。ただ、それは大人だけの意見です。当然、社会には子どももいます。ぼくは、薬物汚染の「弱者」である子どもを守る立場から警鐘を鳴らしたいのです。現時点では作品は自粛するべきだと思います。薬物汚染の低年齢化が進み、「小学6年生が大麻吸引」「中学生が覚醒剤を使用」といったニュースは何も特別ではありません。ネットやSNSなど入手方法も容易になったうえ、価格も安くなっています。そもそも日本の子どもたちは他国と比べて自己肯定感が極めて低く、薬物に流されやすい土壌が成熟されているいるのです。関西の有名私立4大学の新入生約2万3千人が答えた2018年の調査では、薬物の使用を「絶対にダメ」と考える学生は91%にのぼりましたが、「個人の自由」と考えている学生も7%いました。薬物使用の目撃経験者は6%で、入手できると答えた学生は56%にもなりました。
母数が多いし、新入生が高校時代の経験で答えているのだから、深刻な事態です。薬物乱用の防止教育について言えば、単に恐怖心をあおるようなものではなく、脳への影響など科学的知見に基づいた内容であるべきです。「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか」というコピーがありました。でもピエール瀧被告は、何十年も芸能界で活躍してきました。よきパパだったとさえ言われています。彼の作品が平然と出続けたら、子どもたちに、薬物の恐ろしさは「大人が大げさに脅しているだけ」と受けとめられてしまいます。例えば五輪メダリストは、ドーピングの発覚によりメダルを剥奪されます。薬物で運動能力を向上させたとみされるからです。つまり、薬物と結果が結びついているのです。ではなぜ、作品中の俳優の名演技と薬物は「別物」なのでしょうか。演技が日常的な薬物摂取による「ドーピング」的効果なら、両者には関係があると言えます。被告が俳優として社会的責任を果たすためにも厳しい姿勢でのぞむべきです。しかし見捨てるのではなく、依存症の治療には社会が温かく手を差し伸べないといけません。東映は予定通り出演作品を公開しました。いったん見合わせ、この事件が若い世代に与える影響を慎重に見てほしいかったです。公開を称賛する声もありますが、そこに見える大人の薬物への鈍感さや、依存症に対する脳科学的な無理解に、ぼくは憤りを感じます。尾木ママはこの問題では譲れません。子どもたちは、大人の対応ぶりをしっかり見ているように思います。(聞き手・中島鉄郎)
一気に流れる空気に警鐘 碓井真史さん 新潟青陵大学大学院教授 1959年生まれ。専門は社会心理学。ウェブサイト「心理学総合案内こころの散歩道」を運営。 作品の公開を自粛することがあってもいいと思います。例えば職場の同僚が逮捕されたとき、家族が亡くなったとき、宴会を自粛するのは自然の行為ですよね。強い悲しみや、心の底から罪の意識を持った結果としての行動なら、自粛してもある程度はファンも納得できるものです。ただ、「世間の空気」というあってないようなものを読み過ぎて何もかも無しにするのは、自粛ではなく「萎縮」です。そんな雲隠れや事なかれ主義に、納得できない人もいるでしょう。
ヘマをした人や組織に対し、鬼の首を取ったかのように攻撃し、避難する人が増えています。日ごろからのストレスをため込み、何かを蹴っ飛ばしたいけれど我慢している人は、小さなきっかけで怒りを爆発させます。普段は力を持つ有名人や芸能人をたたくと、気持ちがいいのです。人は集団の中で孤立することを恐れます。だから「僕の考えていることは、みんなもそう思っている」と感じられると、声を大にして意見を言うことができます。原発が素晴らしいと言う意見が目立てば同じ主張をする人が増える一方、少数派は沈黙するようになります。これを「沈黙の螺旋理論」といいます。
ネット社会では、これが偏った形で加速しています。SNSなどでは、自分の好きな意見や記事だけを読む傾向にあります。自粛すべきだと考える人が、自分が多数派だと思うと、より声が大きくなりがちです。またネット上での攻撃は、自分は絶対安全なところにいるので過激化しやすいのです。「優しく、共感しやすい」と言われる日本人は、数字やデータよりも人の感情に流されやすく、感情的意見を短時間でいくつも採り入れるのではないでしょうか。右も左も、そんな情報の中に平気でウソを紛れ込ませます。ウソは受けるし、おもしろいので、拡散力もあります。
ひとたび転がれば、一気に流れる世の中の空気は本当に恐ろしい。非難が炎上して不買運動になるリスクを考えると、自粛という名の防衛に入りがちです。目立たなければ、非難は盛り上がりにくいですからね。しかしリスク面では賢くても、やり過ぎると優れた音楽や映画に触れられなくなり、私たちみんなが損をしてしまいます。ふさわしいバランスがあるはずです。そろそろ、そんな状態に歯止めをかけれれないでしょうか。非難する側は、自分の気持ちにぴったりという意見やニュースほど、要注意と心がけましょう。非難を受ける側は、反対意見も尊重してどうあるべきかを議論し、しっかり考えた上で自粛するかどうかを判断するべきです。ネット社会においても、それができる社会においても、それができる世の中になってほしいものです。(聞き手・後藤太輔)

 

 

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る