4月17日 寂聴 残された日々

朝日新聞2018年4月12日29面:34花盛り 花祭りは、これが最後かなと心ひそかに思いながら迎えたのは、去年だった。いや、一昨年の花祭りもたしかそう思った。なぜか、2月は病気をして、4月8日の花祭りの前に退院しているのが、年中行事のようになっていた。それも当然、私はすでに今年は95歳になっている。来月には満96歳である。脚は大根のようにはれ、腰は弓なりに曲がってきた。人前ではせいぜい気取っているので、誰もが、「お元気ですね。100まで大丈夫!」と言ってくれるが、元気など昔、昔の夢で、れっきとした老衰ばばあである。
花祭りは、お釈迦さまの誕生日ということになっていて、お寺ではお祝いの行事をする。2500年前の誕生日など、どうして割り出せたのだろう。私は『釈迦』という小説も書いてみたが、確たる証拠など、出てこなかった。ただ、亡くなる時お釈迦さまは腹くだしの病気で、ほとんど寝ころんでいたのに、最後の旅を思い立たれ、侍者のアーナンダを伴って北へ向かって旅をされている。北方にお釈迦さまの故郷があったから、そこへ向かわれたという説もあるが、亡ぼされてなくなったふるさとへ行って死にたいなどセンチメンタルなことを考えられるだろうか。昔も今も、ふるさとは遠きにありて想うものであろう。
旅の途中で、かじやのチュンダに請われて、その布施の料理を召し上がった。それから更に病気が重くなり、死を早めたと仏伝にはある。おそらく御病気は大腸がんだったのだろう。お釈迦さまは自分の死後、チュンダの布施の食事のせいだとチュンダが人々から非難されることを心配され、「私がこれまで受けてきた布施の中でチュンダの食事が最高であった」 と言い残され、チュンダをかばっていらっしゃる。チュンダの食事の中の肉が腐っていたとか、毒茸がまぎれこんでいたとかの説もあるが、2500年も前のことだ。何の証拠もない。定命が尽きて亡くなられたのであろう。
釈迦伝によれば、ルンビニーの園で御誕生になったお釈迦さまは、立って四方に歩まれ、右手で天を、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊」と言われたと伝えられている。「天にも地にも我一人が尊い」と伝わっていたが、私はさんざん考えた末、「天にも地にも自分の命はただ一つで尊い」と解釈した。他の人の命も、ただ一つである。従って「その命を殺してはならない、殺させてはならない」というのが仏教の根本思想だと信じている。
お釈迦さまはお生まれになった時、それを祝福して天からは甘露と華がふりそそいだという。今、寺々ではそれにならって花御堂の屋根を花で飾り、盆の中に誕生仏を置き、人々に甘茶をそそいでもらっている。甘茶は東北の二戸のあたりのものが一番美味しいというので、寂庵ではそれを取り寄せ、花祭りに来てくれる人にふるまい、誕生仏にそそいでもらっている。さあ、来年の花祭りを私は果たして行えるだろうか。

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