4月16日 白球の世紀64

朝日新聞2018年4月10日夕刊8面:入学前から浪商ノック 1939(昭和14)年4月の浪華商(大阪、現大体大浪商)入学を前に、当時14歳の今西錬太郎(93)は、野球部の冬季練習に参加した。100人を超す入部予定者が一塁線、三塁線にそって並び、声をあげながら先輩の守備練習を見守った。一塁側にいた今西に監督が突然、声をかけた。
「おい、そこのお前、ノックを受けてみろ」何で自分が・・と戸惑ううちに、強烈なゴロが右に左に飛んできた。それを今西は懸命に体で止めた。その日から今西は、先輩にまじって二塁手の守備位置でノックを受けた。
当時の監督は本田竹蔵。25(大正14)年の第11回全国中等学校優勝野球大会に高松商(香川)の一塁手として出場し、優勝した経験をもっていた。今西は、小学校卒業後、高等科2年を経て浪商に入った。多くの部員は小学校を出てすぐに浪商に入学しており、今西と同じ年で3年生になっていた。
今西には、先輩たちがみな「おっさん」にみえた。39年夏、第25回大会の大阪大会に今西は1年生ながら8番二塁手で全5試合に出場した。選手層の厚い浪商で、1年生のレギュラーは異例だった。準決勝まで大差で勝ち進んだが、決勝で京阪商(現芦間)に2-3で敗れ、優勝は成らなかった。
甲子園での全国大会は、白衣の傷痍軍人が観客席から見守る中、海草中(和歌山、現向陽)の左腕投手、嶋清一が全5試合を完封。準決勝、決勝と2連続無安打無得点試合を達成して優勝した。大会創設25周年にあたって、飛田穂洲は、こう論じた。「我等が常に説き来つたものは、日本精神を土台とした野球ー即ち日本式野球であつたことを、改めて公言して置きたいと思ふ」(「アサヒ・スポーツ」39年8月第1号)「日本精神」を理由に外来スポーツを排する風潮に、飛田は異議を申し立てた。秋から今西は投手に転向した。(上丸洋一)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る