4月13日 高畑勲さんが残したもの

東京新聞2018年4月7日24面:日本アニメ隆盛の立役者 日本アニメーション界の巨匠、高畑勲さんが5日、82歳で亡くなった。作品づくりの情熱と姿勢は、後進の業界関係者にも大きな影響を与え、まさに日本を「アニメ大国」にした立役者の一人。高畑さんが日本のアニメ界にのこしたものとはー。
高畑さんは東京大卒業後、東映動画(現・東映アニメーション)に入社。長編アニメ映画「太陽の王子 ホルスの冒険」(1968年)で初監督を務めた。同社を去った後、テレビアニメで「ルパン三世」「じゃりん子チエ」などの作品で人気を博した。85年に宮崎駿監督らと設立したスタジオジブリで、アニメ映画「火垂るの墓」「おもいでぼろぼろ」「かくや姫の物語」などを送り出した。
どんな仕事ぶりだったのか。高畑さんや宮崎監督と数多くの作品を手掛け、日本を代表するアニメーターの一人、小田部羊一(81)は「全幅の信頼を置いた。彼のイメージを僕が絵で表現すれば、きちんと作品になった」と振り返る。だが、厳しかった。テレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」(74年)では、原作を読んでイメージをふくらませ、自分なりのハイジを描いて高畑さんに見せた。しかし、何枚描いてもOKが出ない。ようやく高畑さんから「おじいさんをひたと、まっすぐみつめる顔を」というヒントを引き出した。「それまで、愛らしく見える少女ばかり描いていた。でも、真っ正面から人と向き合うのが、高畑さんのハイジだった」こまやかな人でもあった。初回放送のクレジットで、小田部さんの肩書には「作画監督」に加えて「キャラクターデザイン」とあった。キャラクターを生む苦労を評価してくれたのだ。
高畑さんが日本のアニメに刻んだものは何か。小田部さんは「絵に命を吹き込むこと。キャラクターの性格や表情を真剣に考え、いきたものとして見せようとしていた」と語る。アニメーターでアニメ監督の芝山努さん(77)も、高畑さんの姿勢から学んだ一人。東映動画時代、テレビアニメ「狼少年ケン」(63~65年)をともに手掛けた。絵が描けない高畑さんが持ってきた丸や点ばかりの絵コンテを、指示に従って「清書」した。「東映が用意した旅館で二人で缶詰めになり、夜遅くまで、布団の中でも絵を描かされました。絵描きへの注文も厳しかった」と苦笑する。
「高畑さんの仕事に対する姿勢は、自分が演出をする時に響いてきた」と語る芝山さんはその後、「ドラえもん」「ちびまる子ちゃん」「まんが日本昔ばなし」と、大ヒットテレビアニメを手掛け、合計視聴率から「100%男」と呼ばれた。そんな芝山さんから見ても、高畑さんは「すごく先を走っていた人。一目も二目も置いていた。かなわない」。日本アニメへの貢献については「僕には、言えない」。
アニメ文化に詳しい氷川竜介・明治大学大学院特任教授は、高畑さんが生活描写をアニメに取り入れた点を高く評価する。「地味なものをきちんと追い、日常生活に引きつけ、アニメを豊かにした」例えば、ハイジの食事のとろけるチーズ。スイスにロケハンに行き、山小屋の暮らしや生活道具まで丹念に調べた。チーズをあぶる道具もその一つ。ヤギを飼い、乳をしぼり、チーズを作り、食べる。そんな生活の一つ一つを丁寧に描いた。「日常がアニメになると示したのは大きい。事件が起きなくても、何げない生活自体が驚きで奇跡だと伝えた。日常を淡々と描く日本アニメの土台を築いた」 (中沢佳子)

 

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