4月1日てんでんこ 横丁最後の春「8」

朝日新聞2018年3月24日3面:「金の降る街だった」。横丁誕生の物語に井上ひさしの母。 津波で全壊した岩手県釜石市の「呑ん兵衛横丁」には、古い物語がある。時計の針を昭和に戻す。舞台はかつて「お恵」の隣にあった「ます子」。作家井上ひさしの母マスが屋台から始めた店だ。マスは近くでバーも経営して1991年に他界した。その名を残す店は20年後に被災した。その罹災証明は、ひさしの兄嫁井上淑子(80)が持つ。市内に住むが、水商売とは無縁で「罹災証明は意味ないね」。淑子の話と、マスの自伝小説「人生はガタゴト列車に乗って」(ちくま文庫)、ひさしの自叙伝的小説「花石物語」(文春文庫)を重ねると横丁誕生が見えてくる。無一文で52年1月に釜石に来たマスは製鉄で栄える街に驚く。「東北の上海」で「金の降る街でありました」。2年後に屋台の焼き鳥屋を始める。東京の大学を休学していたひさしも手伝う。女性たちの引く屋台が製鉄所脇に集められる・・。
「ます子」に通う紳士がいた。当時の市長鈴木東民だ。元新聞記者で反骨精神を持ち、女性や子供の声に耳を傾けた。マスらの要望で横丁発足も後押しした。屋台の組合いをつくったのがマスらで、事務を引き継いだのが「お恵」の菊池悠子(79)だ。ひさしのことも思い出す。「あんな立派な作家になるとはね」震災前に亡くなったひさしは、その才能で没後も被災者を勇気づける。避難所となった釜石小学校では閉鎖される2011年8月10日まで、朝のラジオ体操の後に校歌が流され、全員で合唱した。
いきいき生きる いきいき生きる ひとりで立って まっすぐ生きる(中略)手と手をつないで しっかり生きる  地元の山や川、海が登場しない一風変わった歌詞は、ひさしの作品だ。市から頼まれて02年12月に書いた。当初は違和感をもたれた歌詞が、被災者の心にしみた。校区の町内会長の荻野哲郎(75)は全国で避難所運営の経験を語る際、必ず歌詞のコピーを配った。今年2月に催した避難所運営者らの「最初で最後の同窓会」でも、全国から駆けつけた三十数人が最後に校歌を歌った。横丁の歴史が、最終章に近づく。(山浦敬)

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