31日 平成とはプロローグ【2】

朝日新聞2017年8月28日1面・2面:ひばりの死 世紀の死 日田支局長 近藤康太郎 「そのことおれに聞きに来たやつ、初めてだよ」篠崎弘(65)は、苦く笑って遠くを見た。元朝日新聞記者。長く学芸部でポピュラー音楽を担当し、音楽評論家として有名な先輩。1989(平成元)年6月24日未明。美空ひばりが亡くなったという情報が業界内を駆け巡った。昭和歌謡界の女王。その朝、毎日、読売新聞などは1面トップで報じた。しかし、朝日新聞には1行も記述がない。いわゆる「特オチ」。そのときのポピュラー音楽担当が、篠崎だった。
無礼な質問に、篠崎は、特に嫌がるふうでもなく、話し始めた。・・・当時のことは、じつはよく覚えていない。無意識に、忘れようとしていたのかもしれない。ひばりさんが入院していたのは知っていたし、万一の原稿も準備していた。亡くなったと情報を聞きつけたが、家族や事務所からの証言がどうしても取れない。朝刊締め切りを過ぎ、寝ないで東京・目黒の「ひばり御殿」に駆けつけた。へんなモヤがかかった、蒸し暑い朝だったのを覚えている・・・。
わたしは、その事件のあと、学芸部に配属された。「世紀の大特オチ部」。なぜかうれしそうに揶揄してくる他部の記者が多かった。ただ、ずっと疑問だったのだ。今でいえばAKB48のセンターを40年張ったより以上の、大歌手の早世が大ニュースなのは違いない。しかし、これは「世紀の」大特オチだったのか?
超重要人物の訃報にしては、準備はあまりに手薄だった。担当者は篠崎だけ。用意していたのは80行の原稿1本のみ。1面トップの構えとしては、明らかに不足だった。新聞社全体で、ひばりの死を、それほど重大には予感していなかったのだ。
今年7月。横浜市の総持寺で、石原裕次郎の没後30年法要があった。猛暑の中、ファン1千人が集まった。裕次郎が亡くなったのは1987(昭和62)年。52歳。ひばりはその2年後、同じく52歳だった。活躍中のトップスターの早すぎる死。違ったのは、紙面の扱いだ。裕次郎の訃報は朝日、毎日、読売ともに、1面の真ん中に3段見出し。ひばりの死は、3紙とも1面トップ。扱いで、2階級以上の大きな差がついた。なぜ、そんなインフレが起きたのか。ひばりの死と同年にあった、「世紀の」大事件のためだ。 昭和天皇の死である。 (敬称略)
「国民が」が溶けていった 出棺に、万歳が起きた。「悲しむのではなく、よく頑張った、ありがとうと、ファンはお別れを言いに来た。同志なんですよ」
レコード会社で長らく担当だった境弘邦(80)は、美空ひばりが亡くなった平成元年、全国に「葬式の出前」をすることを発案した。
「焼け野原から『悲しき口笛』で出て『柔』で高度成長期を歌った。昭和の最期を見届け、昭和を串刺しにして、逝ったんです」ひばりの死に、ファンの多くが昭和の死を重ね合わせた。だが国民的歌手と呼ばれるようになるのは、死後のことだ。
「映画で知る美空ひばりとその時代」の著書で山口大准教授の斎藤完(51)が言う。「人気絶頂にも、ひばりは国民的〇〇とは形容されていない。ひばりを国民と結びつける考え方は生前、一般には普及していなかった。あくまで大衆の、庶民のひばりです」
そしてひばり以降も、国民的歌手は出ていない。なぜか。「国民」が死んだからである。平成とは、国民が溶けていった時代だった。


「あれも必然かなと思う。事件がなければ、いまの自分もないわけで」島田裕巳(63)は、苦く笑って遠くを見た。宗教学者。他分野の著書が多数。大きな傷も、持つ。 1995年(平成7)年3月。オウム真理教の信者が地下鉄構内で猛毒のサリンをまいた。事件前のオウムに一定の評価を与えていた知識人は何人かいた。島田は、その一人だった。
・・・当時のことは、じつはよく覚えていない。無意識に、忘れようとしていたのかもしれない。パッシングは突然、始まった。わたしに対し、「教団名をもらった」「教え子をオウムに勧誘した」と事実無根の報道がされた。「社会的に抹殺するしかない」と煽るコメンテーターもいた・・・。
勤務先の大学に抗議が殺到、辞職に追い込まれた。家族も島田の元を去った。島田は、オウム真理教を「戦後日本の縮図」と見る。「組織の価値がどんどん高くなったのが、明治以降の近代日本です。企業、労働組合、国家。個人がその組織に帰依する。オウムは、教祖に帰依する究極の組織だった。最後は省庁制まで行ったんだから」
国民が溶けつつある時代にあって、オウムは擬制の国家で、信者はハルマゲドン(最終戦争)に生き残りを託した国民だった。国民は、必要なとき、国家に呼び出される概念装置だ。「蛍の光」や「仰げば尊し」「われは海の子」など明治の歌唱も、国に尽くし、身を立て、国を守る、いわば国民誕生の歌。
ただし、国民という言葉を最初に使い始めた人々には、別の理想もあった。民が国家に尽くす前に、国家が民に尽くす。だから、国民が生まれる、と。
今年2月に出た「『国民主義』の時代」で、青山学院大学教授の小林和幸(56)は明治政治史に初めて現れた国民という概念に光を当てた。陸羯南(くがかつなん)ら「国民論派(国民主義)」の政治活動だ。運動の担い手は政治家から探検家まで多彩。
しかしこうした国民運動は日露戦争後に多くが愛国運動に吸収され、戦争の時代・昭和に突入する。


今年6月の沖縄県豊見城市、AKB48の総選挙を見た。総選挙が始まったのが2009(平成21)年。祭り事であり、擬制の政でもある。ファンはAKB民主共和国の国民として、団結し、公共(グループ)のためを思い、代議を選抜する。AKB48は、しばしば「国民的アイドル」と称される。だが、ひばりを国民的歌手というのと同列に語るには、無理がある。今年のAKB総選挙で過去最高得票数で1位となった指原莉乃の、顔と歌声とを認識できる「国民」一般は、存在するだろうか。
評論家の中森明夫によれば、それが「スターとアイドルの根本的な相違」であり、まさに「昭和と平成との分水嶺」でもある。
「ひばりの東京ドーム復活公演も見ましたが、圧倒的な歌唱力があり、間違いなくスター。アイドルは、歌がうまいわけでも特段かわいいわけでもない」
アイドルとはなにか。中森によれば「好きになってもらうプロ」だ。「アイドルは、ファンの総合の象徴であって、その地位は、ファンの総意に基づく」。現行憲法第1条のパロディー。明治憲法の第1条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」だった。主権は天皇にある。こちらは、スターとファンの関係にあたる。
中森の発見である。「国民そのものがフィクションです。幻想を共有するため、共通の言語、共通のスター、経済成長という共通の目標が必要だった。平成になって『国民的』の内実はすでにない。でもファンは、幻想と知りつつ、共有する。だって人間、そんなに強くないですよ。何かに自分を仮託しないと、生きていけない」
ひばりの惨烈に「万歳!」と叫んだファンがいた。それは、大スターへの哀惜であった。昭和の終わりへの感慨でもあったろう。同時に、「国民の死」をもまた、予感的に悼んでいたのではなかったか。(敬称略)


ただの<民>になる 「小さな政府がよい政府」「改革なくして成長なし」。平成に入って耳タコに繰り返される政治スローガンは一貫している。国家はもう国民の面倒をみませんよ、と。「アメリカ・ファースト」など最近の政治潮流れは、それに対する粗雑な異議申し立てだろう。ただ、もし<国民>が作られた概念ならば、いずれ消え去るのは理の当然。ただの<民>になる。
明るい実験を、わたしは試みているつもりだし、いずれこの企画紙面で報告したい。なんであれ、変えられる。それが人が作ったものであるならば。
(日田支局長 近藤康太郎=54歳)

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