3月9日てんでんこ 新聞舗の春「6」

朝日新聞2018年2月28日3面:記者や経営陣は多分知らない。頭を下げて購読をつないできた。 東京電力福島第一原発の水素爆発などで、福島県の避難者は最大で16万人を超えた。政府から避難指示が出されたのは11市町村。新聞販売所「鈴木新聞舗」がある浪江町では、約2万1千人が故郷を追われた。前所長の宏二(74)も事故後、福島市の長女のアパートから、福島県二本松市内の政府関係施設へと移り、避難生活を続けた。
毎朝、新聞配達を続けてきた宏二にとって、朝起きてすることが何もない避難生活は苦痛だった。気がつくと新聞ばかりを読んでいる。あれほど待ち遠しかった新聞休刊日が寂しく感じた。「購読者はいつもこんな気持ちで新聞を待っていたのかもしれないな」避難生活が4年目に入った2014年8月、宏二にとって身を切られるような出来事が起きる。長年配達してきた朝日新聞が「慰安婦問題」に関する一連の記事を、根拠とした証言が虚偽だったとして取り消したのだ。取り消しの遅れなどに多くの批判が集まった。さらに9月には、第一原発の所長、吉田昌郎に対する「聴収結果書」をめぐる記事を「間違った記事」として取り消し、社長が謝罪した。宏二は、そんな謝罪や訂正のあらましが印刷された新聞を、福島県郡山市にある避難先の2DKの借り上げアパートで読んだ。
朝日新聞の記者や経営陣は多分知らない。約40年間、集金の度に浪江町内の購読者の家を一軒ずつ回ってきた。町内で亡くなった人が出た時は、葬儀の場所や日時などを記した「おくやみ情報」を自ら作り、地域住民に配った。そうやって人間関係を築きながら、「権力におもねらい、信頼できる新聞ですから」と頭を下げて、購読をつないできた。宏二は悲しかった。何より悔しかった。
間もなく、他紙からも含め、朝日新聞へのバッシングが始まった。この余波はきっと朝日新聞にとどまらない。新聞業界全体が互いにけなし合うことで、読者の信頼を失ってしまうのではないか。将来、原発被災地にどれだけ人が戻るのかもわからない。「もう新聞舗は廃業しよう」。そう考えていた16年秋、浪江町の避難指示が17年春にも一部で解除される見通しが出てきた。すると、次男の裕次郎(34)が宏二に伝えてきた。新聞舗を再開したい、と。(三浦英之)

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