3月7日 文豪・文人のゆかり地 樋口一葉 東京都台東区竜泉

朝日新聞2019年2月28日夕刊4面:見つけた「たけくらべ」の世界 遊郭やお寺小説に深み生む 2月初旬、雨の降りしきる中、東京メトロ日比谷線三ノ輪駅から国際通りを南へ歩く。マンションが多いが、時々出くわす商店や神社・寺院が、下町の面影を残す。台東区竜泉。明治時代は、下谷竜泉寺町と呼ばれた。新吉原の遊郭も近かった。この辺り、5千円札に登場する明治期の作家、樋口一葉(1872~96)が、一時住んだ場所だ。93年7月から翌年5月までの10カ月弱。記者(52)は一葉と聞いても、「たけくらべ」などの題名を知っているくらいだった。もっと詳しく知りたくなった。
7~8分歩き左折、少し行くと、シルバーのモダンな3階建ての建物が現れた。台東区一葉記念館だ。専門員の近藤直子さん(52)が迎えてくれた。地元有志が寄付金を集め土地を購入、1961年に区が記念館を建てた。「これだけ地域と密着した資料館も珍しい」と言う。2.3階には父母やきょうだいとの写真、代表作「たけくらべ」の未定稿、商売をしたときの仕入れ帳んど約80点を展示。小説を始めたきっかけ、歌塾の友人や師匠との関わりなど、24年の生涯がわかりやすくまとめられている。17歳のとき父親が他界し、女戸主として母と妹を養うため、困窮の生活が始まった。
安定した収入を得るため小説執筆はいったん脇に置き、下谷龍泉寺町で商売を始めた。展示の中で記者がせつない気持ちになったのは、小説の師匠で、朝日新聞記者だった半井桃水へ宛てた書簡だ。出会ったのは一葉19歳、桃水31歳のとき。小説を教えてもらううちに、ほのかな恋心が芽生えてきた。1892(明治25)年6月、歌塾の師匠と友人から「2人がうわさになっている」と忠告され、断腸の思いで縁を切る。この書簡はその直前に出したもの。書簡の中の「伺度てためらないのに」という文言が胸に迫る。記念館を出手左へ行くと、左手に「一葉煎餅」の看板が見える。1952年創業で、今は2代目店主の飯野省三さん(76)。堅焼、ザラメ、胡麻など種類も豊富。「一葉ファンが来てくれるので、もう少し頑張らないと」 南へ歩くと茶屋町通りにぶつかる。住宅や商店が並ぶ一角に「樋口一葉旧居跡」の碑がある。11坪の二軒屋で、荒物駄菓子店を開いた。当時店の前を、新吉原の遊郭へ行き来する人力車が、頻繁に通ったという。一葉も、仕入れのためこのあたりを走り回ったのであろう。だが売り上げは伸びず、店を閉じる。
「でも龍泉寺町で得たものは大きい」と近藤さんは指摘する。「それまでは和歌をベースにした世界観に基づいて小説を書いていた。吉原の人たちや大人びた子どもたちと接し、人間観察する力を養い、深みのある小説を書けるようになった」そして、本郷丸山福山町(現・文京区西片)に移り、経験は花開く。代表作に「たけくらべ」は、まさに龍泉寺町の場所や人が、登場する。大音寺、鷲神社、千束稲荷神社・・。主人公の美登利は、遊女の姉を持ち、同じ学校に通う寺の息子の信如に淡い思いを寄せる。美登利は遊女、信如は僧侶になる運命を背負い、2人は別々の道を進むー。一葉自身の恋と、小説に描いた恋。クロするせつなさに、この町での暮らしが織り込まれていく。肺結核で亡くなるまでのわずか14カ月の間に「大つごもり」「にごりえ」といった名作を次々発表した。後に「奇跡の14カ月」と呼ばれる。素朴さと猥雑さが混在した街・竜泉町。ここでの暮らしは短かったが、作家としての一葉には、大きな影響を与えた。筆から遠ざかった地が、筆で後世に名を残すきっかけになった。(佐藤陽)

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