3月5日てんでんこ 新聞舗の春「4」地震

朝日新聞2018年2月24日3面:大災害が起きた今、「配るべき新聞がある」。そう考えた。 2011年3月11日。福島県浪江町の新聞販売所「鈴木新聞舗」では、いつものように前所長の鈴木宏二(74)が、妻の信子(52)や次男で現所長の裕次郎(34)と一緒にチラシの折り込み作業をしていた。午後2時46分。巨大な揺れに襲われると、全員が店の前の公園に飛び出した。新聞舗は一時停電になり、窓ガラスが割れた。
浪江町では震度6強の揺れを観測し、65戸が全壊。15㍍を超える津波によって沿岸部の586戸が流失し、死者・行方不明者は182人にのぼった。テレビやラジオもなく、宏二や裕次郎は被害の全容をつかめずにいた。ましてや新聞舗の8㌔先にある東京電力福島第一原発で深刻な事態が進んでいることなど知る由もない。
午後3時37分、第一原発1号機が全交流電源を喪失。原子炉を冷やすことができない危機的状況に陥った。政府は午後9時23分、第一原発から半径3㌔県内の住民に避難指示を、浪江町を含む同3~10㌔県内に屋内避難指示を発令した。
「原発が爆発しそうだから、すぐに避難した方がいい」。夜、近くの病院の医師が新聞舗にやって来て、宏二に告げた。宏二は悩んだ。一方、裕次郎は「避難の前にやることがある」と思った。大災害が起きた今、みんなが情報を欲している。俺たちは配るべき新聞がある。そう考えた。
翌日の朝刊を積んだトラックが到着したのは午後11時50分ごろだった、と宏二は記憶している。読売新聞と地元紙の福島民友の朝刊だ。一面には「東日本 巨大地震」の大見出しで、津波にのまれて炎上する東北沿岸部の写真が掲載されていた。一方、朝日新聞の朝刊は、従業員が隣の南相馬市の拠点まで取りに行く仕組みになっていた。「俺が行ってくる」。宏二が軽ワゴン車に乗り込んだ。
山側の県道を抜け、沿岸部を南北につなぐ幹線道路の国道6号に差し掛かった瞬間、フロントガラスに泥が飛び散り、急ブレーキを踏んだ。「なんだ、こりゃ」車外に出て驚いた。津波で冠水した道路は、まるで海だった。 (三浦英之)

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