3月4日 ドナルド・キーンさんを悼む

朝日新聞2019年2月26日35面:小説家・平野啓一郎(寄稿)ユーモアと笑顔 憧れだった「友達になりましょう!」差し延べられた手 1975年生まれの私にとって、ドナルド・キーンという名前は、戦後文学の黄金時代と密接に結び付ついた半ば伝説的な、憧れの対象だった。キーンさんの自叙伝を読んでいると、若い頃には、フランス文学の研究者になっていたかもしれない、という時期もあるが、もしそうなっていたなら、日本の戦後文学の国際的な評価どうなっていただろうか。
他方で、近代以降、日本人はゴッホやモネに浮世絵の素晴らしさを再教育され、フェノロサに日本美術の価値を見出されたように、やはり、キーンさんに教えられた日本文学の素晴らしさも多かった。私が初めてキーンさんにお目にかかったのは、2006年に新宿文化センターで公開対談を行った時だった。私は主催者から、開演2時間前に会場入りしてくれと言われ、早すぎじゃないかと言ったのだが、キーンさんが早く来られるので、とのことだった。
それならと、言われた通りの時間に会場に行き、楽屋に挨拶に伺ったはいいものの、そこから会派が始まってしまい、本番前に二時間も喋って、このあと九十分も舞台で話がもつだろうかと肝を冷やした。私は最初、非常に緊張していたが、キーンさんはとても親切で、話は何もかも思白く、エスプリに富んでいて、すっかり魅了された。結局、舞台でも話題は尽きず、物足りなささえ覚えたのだが、私とキーンさんの文学観には、世代や国籍を超えて、やはり共通する部分が多かったのだと思う。因みに、不思議な縁だが、後に養子となられたキーン誠己さんが初めて楽屋を訪ねてこられ、キーンさんと対面されたのもこの時だった。
キーンさんとはその後、何度となく、色々な場所でお話しさせて戴いたが、二度目にお目にかかった『私と20世紀のクロニクル』刊行時の記念対談では、別れ際に手を差し述べられて、「友達になりましょう!」と仰り、私は恐縮するやら、感激するやらで、慌てて両手で握手をした。記憶というのは、いい思い出ほどよく残るとも限らないのだが、これは、私が人から言われてとても嬉しく、今に至るまで決して忘れられない一言となった。
キーンさんのお話は非常に深みがあり、時には少し考えてからお答えになることもあったが、考えはじゃっきりしていて、曖昧なところがなかった。それは、著作を読んだ時の印象と同じである。類い稀なユーモアのセンスの持ち主で、偶然出会して、ほんの一言二言交わしただけでも、いつも笑顔になった。晩年まで健筆を揮われ、特に二部作とも言うべき『正岡子規』と『石川啄木』は、評論としても傑作だと思う。まだまだお話したいもたくさんあったが、ご多忙な様子やご体調の具合を慮っているうちにお別れとなってしまい、残念でならない。まだ実感を掴みそこねているが、悲しい。キーンさんが谷崎や三島と、どこかで再会して談笑している光景を思い描くと、何とも言えず胸がいっぱいになる。その会話にこそ、私も参加したくなる。

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