3月3日てんでんこ 新聞舗の春「3」

朝日新聞2018年2月23日3面:親子3代の願いは砕かれた。安全だと信じていた原発が爆発した。 福島県の太平洋沿岸に広がる地域「浜通り」のほぼ中央に位置する浪江町。漁業や商業で栄えた町東部の中心市街地で、鈴木新聞舗は1936年、朝日新聞社と契約を結び、配達業務を始めた。創業者の鈴木宏(享年72)には右腕がなかった。少年時代に自転車で転んでケガを負い、右腕を付け根から切断していた。
負けず嫌いだった宏は、片手で自転車を操り、14部だった朝日新聞に読売新聞や地元紙の福島民友を加えて部数を拡大した。同時に町の文化・スポーツ事業にも乗り出す。その一つが、町の夏の風物詩「浜通り選抜高校野球大会」だった。野球好きだった宏が提案。鈴木新聞舗が運営の中心となり、51年から2003年まで毎年6月ごろ、沿岸部の選抜8校を浪江町などに集め、開催した。
大会当日には、町内で吹奏楽の行進があり、小型機が空から始球式用のボールを落とした。大会役員の宏は、故郷の空を旋回する小型機をいつも涙目で眺めていたという。配達事業は徐々に軌道に乗り始めた。普段は気難しい宏だったが、クリスマスにはまだ珍しかったケーキを、正月にはスルメと餅を新聞配達の中学生に欠かさず振舞った。「鈴木新聞舗は町民のサロンにたいな場所だった」。今も浪江町で区長を務める佐藤秀三(72)は振り返る。「選挙の時などはみんなが店に情報を持ち寄って、当選結果を待ちわびたんだ」
そんな浪江町に67年、ある転機が訪れた。新聞舗から南に8㌔先で、東京電力福島第一原発1号機の建設が始まったのだ。町は立地自治体ではなかったが、町内に原発に通う作業員の下宿や飲食店が次々に誕生し、「原発景気」に町中が沸いた。
時は高度経済成長期。鈴木新聞舗もその波に乗って、部数を約2200部にまで広げた。宏は町議を4期務め、80年代半ばに長男の宏二(74)に経営を譲る。第一原発は6号機まで増設されていった。宏二は販売部数を約3200部に伸ばし、2010年には経営のバトンを次男裕次郎(34)い託した。
家族ぐるみで経営を続け、町の発展に貢献していければ。そう思っていた。そんな親子3代の願いはあの日、突然打ち砕かれた。安全だと信じていた原発の建屋が水素爆発を起こしたのだ。 (三浦英之)

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