3月29日てんでんこ 横丁最後の春「5」

朝日新聞2018年3月21日3面:「大きなママたちと再建したかったけど」。横丁を離れる店が現れた。 「恋の峠」の名前の由来は様々だ。恋する男と女の落ち合う場、この峠を大津波が「越えた」たと言う伝え・・。東日本大震災では子供らの命を守る高台となった。峠は岩手県釜石市沿岸の国道45号にある。津波で峠の両側にある地区は壊滅した。その中で、海岸そばにあった小中学校の子供らは峠まで駆け上がって助かった。
あの日、呑ん兵衛横丁で居酒屋「うさぎ」を営んでいた佐々木悦子(54)は小学5年と中学1年の娘2人を探し校舎と峠の間を行き来した。途中で高齢者も助けた。峠のさらに上で、娘2人を見つけた。「うさぎ」を始めたのは震災の2ヵ月前だった。初めて持つ店で、なじみ客ができる間もなく津波で流された。
仮設の横丁ができると、各店にはかつての常連が集まった。「お前、生きていたか」と互いの無事を確かめあった。まだ常連が少なかった「うさぎ」の経営は楽ではなかった。励まして助けてくれたのが、横丁の年上の女性たちだった。「そんな大きなママさんたちと一緒に横丁で店を再建したかった」
震災から3年が過ぎ、市は飲食街の再建に動き出した。「釜石の文化」として、震災前の横丁を意識し、カウンターだけの小さな店を並べようとした。建設予定地は、震災前の横丁のそばにあった。だが、横丁の経営者たちはためらった。仮設では無料だった賃料が発生する。内装工事などの初期費用も壁となった。加えて、高齢の経営者に新たな借金は難しい。横丁で「撫子」を営んできた菊池詩子(57)は青森県八戸市の名物屋台村を市幹部らと見学した。だが逆に気持ちがしぼんだ。「八戸は人口二十数万人で観光客も多い。3万5千人しかいない釜石では屋台村は無理ではないか」。2016年暮れ、横丁を離れ、市街でスナックに転じた。
向井のビルには佐々木の「うさぎ」が移っていた。震災前のような横丁の復活は難しいとみての決断だった。くしの歯が欠けるように、横丁から店が消え始めた。そして17年1月、新しい飲食街が華々しくオープンした。仮設の横丁から移ったのは3軒だけで、リーダーの「お恵」ののれんは掲げられなかった。
(山浦正敬)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

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