3月27日 白球の世紀48

朝日新聞2018年3月17日夕刊12面:関西の同胞集まって声援 第9回全国中等学校優勝野球大会の朝鮮代表、徽文高普は1923(大正12)年8月17日、満州代表の大連商と鳴尾球場で対戦した。日本が租借する中国東北部の大連・旅順地区でも、朝鮮と同じ21年から地方大会で開かれていた。
徽文高普はチーム全員が朝鮮人、大連商は全員日本人だった。試合は大連商が二回に2点先取したものの、すぐに徽文高普が4店を返し優位に立った。一塁側大連応援席では、臨時編成の200余人の応援団が中国語の応援歌で気勢をあげた。対する徽文高普応援席には関西在住の挑戦同胞が陣取り、白熱した場面になると朝鮮語で声援を送った(「アサヒ・スポーツ」23年9月1日号ほか)。
当時、大阪府には約2万4千人、兵庫県に約6千人の朝鮮人労働者が暮らしていた(朴慶植編「在日朝鮮人関係資料集成第一巻」)。徽文高普は9-4で大連商を下し、翌18日、京都の立命館中(現立命館)と対戦した。七回終わって4-4の息詰まる熱戦となった。八回表、徽文高普の下手投げエース、金鐘世(キムジョンセ)は相手打線を3連続三振に切って取った。しかし九回表に連打を浴びて3点を失う。
その裏、徽文高普は4連続四死球で1点を返し、なおも2死満塁の好機が続いたが、次打者が三振に倒れ、5-7で惜敗した。新聞が健闘をたたえた。「善く戦った・・今後益々練枝し来るべき年の大会に再び出場し今日の怨みを雪がんことを切望する」(23年8月21日付大阪朝日新聞朝鮮版)監督の朴錫胤が毎日数百名鳴尾に来て吾々を励まして呉れた事は大きな味方でありました」(8月26日付朝鮮版)徽文高普の活躍はその後長く朝鮮球界の語りぐさとなる。徽文高普野球部一行は8月23日、京城(現ソウル)に戻った。9日後の9月1日、関東大震災が起きた。
(上丸洋一)

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