3月25日てんでんこ 横丁最後の春「1」

朝日新聞2018年3月15日3面:「俺ら涙で終われなっかな」。仮設飲み屋街の終わりが迫る。 「呑ん兵衛横丁」のアート型看板が岩手県釜石市の仮設飲食街に立つ。看板の電装は毎日夕方4時についき、夜11時に消える。東日本大震災から7年を迎えても、変わらない。くぐる酔客の数を除けば。横丁はもともと、さらに海に近い市街にあった。女性1人で切り盛りするカウンターだけの26店が津波に襲われた。その後、女性らは仮設の横丁で店を続けた。被災前から続く長い歴史が終わろうとしている。被災地にできた多くの仮設商店街と同じく、復興の進展で、仮設の横丁も閉鎖が迫る。契約上の起源はこの3月末だ。
仮設横丁の看板の横に居酒屋「お恵」がある。大きなのれんが目を引く。約3坪の店内で、菊池悠子(79)がカウンター越しに、地元の日本酒や魚、ワカメ、みそおでんを出す。皆は「お恵さん」と呼ぶ。「俺ら、涙の別れで店を終われっかな」豪快にしゃべって笑う菊池は、自らを「俺」と称する。55年近く前から「お恵」を営んできた。「元気なうちはまだ続けたい」ちお希望し続けた。だが、行き先が決まらないまま仮設横丁で最後の3.11を迎えた。
横丁の発祥は昭和30年代。路上で商売をしていた女性たちの屋台を、市が製鉄所脇に集めたのが原点だった。戦後復興で鉄の生産が盛んな時代。3交代で働く製鉄所員らで横丁は昼間からにぎわった。あの日、海と川の2方向から襲ってきた津波は一帯で渦巻き、長屋風の横丁は跡形もなくなった。女性経営者の1人も犠牲になった。菊池が後日、店の跡地で見つけたのは白いポットだけだった。
無事だったママらを捜して集まってもらった。震災前に微収していた管理費を戻すためで、女性たちに店を再建するかを尋ねた。答えはみな同じだった。「これまでのように横丁でやりたい」だが、多くの命が奪われ、被災者の避難所生活が続く中、飲み屋の再開は論外だった。菊池は弟の石材業を手伝い、沿岸を走る国道45号の「恋の峠」にある展示場に詰めた。従来は自衛隊や警察、消防の車ばかりだ。震災1ヵ月半後の4月下旬、帰宅すると封書が届いていた。差出人に心当たりはない。消印は「渋谷」だった。(山浦正敏) =文中は敬称を略しています。

 

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