3月23日 平成とは 小売り激変「5」

朝日新聞2019年3月18日夕刊10面:クーデターの果てに 「マイカル山下社長が辞めます」。大阪経済部の流通担当記者から電話があったのは、日付が変わり、最終版の締め切り間際だった。慌てて1面に突っ込んだ。その記者は2001年9月28日未明、東京・半蔵門の大手スーパー、マイカルの東京本部前にいた。「深夜に取締役会を開く」との内部情報があり、彼は東京本部にいた取材先の携帯に電話して貴重な情報を聞き出した。報じた他社は1社だけ。特報に近かった。
「サティ」など約200店を展開するマイカルには経営不安説が後を絶たなかった。米同時多発テロから3日後の14日の取締役会で、社長の四方修(88)が緊急動議により解任され、取締役の山下幸三(70)が社長に就任した。同時に、四方が当時の主力銀行の第一勧業銀行と練っていた会社更生法ではなく、山下らによって民事再生法の適用が東京地裁に申請された。事実上の倒産、負債総額は約1兆7千億円に上った。
だが、混乱は続き、再建方法を巡るクーデターによって社長になった山下も2週間後には辞任してしまったというわけだ。山下は世界最大の小売業、米ウォールマート・ストアーズと提携交渉を進めており、東京地裁から公平な提携先を探す上で不適切と指摘されたからだという。だが、マイカル関係者は「背後には、銀行、弁護士らの利害、思惑も交錯していた」と明かす。この破綻劇は当時の小泉政権が急いだ不良債権処理の一つだ。マイカルは前身のニチイ社長の小林繁峯(故人)主導で拡大路線を走った。「時間消費」を掲げ、巨大な商業施設「マイカルタウン」を各地に建設した。資金は銀行借り入れ、社積発行に加え、当時は珍しかった店舗の証券化で賄った。ただ、マイカルの破綻によって、多額の個人向け社積が債務不履行、紙くず同然になった。このことが、ダイエーの再建に影を落とすことになる。 =敬称略 (編集委員・多賀谷克彦)

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