3月22日 日曜に想う 編集委員 大野博人

朝日新聞2019年3月17日3面:国民を代表しているというなら 「国民の代表」とは選挙で選ばれた国会議員だー。首相官邸が東京新聞記者の質問を制限した問題をめぐり、官邸側がそんな見解を示した。記者が会見に出ているのは民間企業である新聞社内の人事の結果だとも。国民の代表たりえないとう主張のようだ。この見解について重ねて問われた菅義偉官房長官の言葉には迷いがない。「見解って、事実は事実じゃないでしょうか」 よく似た考えの持ち主が19世紀のフランスにもいた。ナポレオン3世だ。あまりにも有名な英雄のおいということもあって大統領に当選し、さらにクーデターで皇帝になった人物である。報道機関についてこう言い放ったそうだ。「私は選挙で選ばれた。だが、記者たちは選ばれたわけではない。報道を制限するのは、民間企業が権力を持つのを防ぐためだ。代表として選ばれた者たちによって表明される人民の声だけで政治をするためだ」 この理屈が今の民主主義もむしばんでいると指摘するのはフランスの歴史家、ピエール・ロザンヴァロン氏だ。やはり選挙で選ばれたトルコのエルドアン大統領やロシアのプーチン大統領を例に挙げる。「彼らも新聞をしめつけるときに『メディアは正当で民主的な制度や仕組みを批判するからだ』と言います」日々問われるべき政治家の正統性の有無を、選挙の結果だけに押し込めようとする病理。ふらつく民主主義の「松葉杖」としてカウンターデモクラシーという考え方を提唱している。
「地元の議会にだれかを送りださないのですか」 大山礼子・駒沢大学教授は若者たちに尋ねてみた。2月に総務省地方制度調査会メンバーとして山陰の町を視察したときのことだ。行政といっしょに高齢化などによる課題に取り組んで成果を上げている若者たちで、都会からのIターン組も多い。返ってきた答えは「考えたこともない」だった。「新しい若者から見ると、おじいちゃんたちでやっている自分たちと関係がない組織と映るようです」と教授。「行政とうまく連携すれば新しいこともできる。議会のチャンネルは不要という感覚では。でも、議会がなければ首長はやりたい放題になる。議会を拠点にすればもっと広い地域全体の活性化にも取り組めるはずなんですけど」 代表機能を問われているのは「おじいちゃん」ばかりの地方議会だけではない。国会もそうとうあやしい。
たとえば女性議員がたったの1割でる衆議院が国民を代表しているといえるだろうか。たくさんの世襲議員が議席を占め、その間で次の政権の担い手を争っている舞台が、今の日本の社会を反映した場所だとも思えない。多くの国で民主主義が迷走している。排他的な大統領が選ばれたり、ポピュリスト政治家が支持を拡大したり、国民投票が混乱をもたらしたり。民主的な仕組みが問題を解決するより深刻化するような例が続く。
ロザンヴァロン氏ら内外の多くの識者が原因と考えるのは「代表制」の機能不全だ。人々は自分たちで選んだ議会が自分たちを代表していると感じられない。近年の各国での世論調査でも、議会や議員、政党への信頼度はきわめて低い。代表されないことにいらだつ人々は建設的というより破壊的な主張の政治家に1票を投じて憂さを晴らす。あきらめた人々は投票所に足を運ぶことをやめる。「国民の代表」が代表できていない現実。にもかかわらず、選挙で選ばれたのだから民主的な正統性を独占できるとう政治家のナイーブで傲慢な認識。それが危機を招いている。政治家は「国民の代表」を自任するならば、毎日こう自問しなければならない時代のはずだ。自分はほんとうに代表しているか。官邸の反応には、その苦悩がまったく見えない。

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