3月22日 新聞を読んで 永田浩三

東京新聞2019年3月17日5面:新聞はいのちの交差点 新聞は、人間のいのちがさまざま行き交う交差点のようなものだ。3月上旬の紙面は、その色彩がとりわけ強かった。一夜で約10万人が犠牲になった1945年3月の東京大空襲。東京新聞は3回にわたって特集を組んだ。10日の第一回は7歳のとき孤児となり生き延びた鈴木賀子さんの壮絶な半生が描かれている。焼け焦げた布団で寝て、食べ物を盗み、飢えをしのいだ。一度は小樽の家にもらわれたが、弟とともに東京に逃げ帰った。そして上野の地下道生活が始まった・・。これまで語ることのなかった記憶。13日朝刊30面には第三回の特集。国家に補償や謝罪を求める訴訟は、2013年に原告の敗訴が確定した。1人当たり50万円の一時金支給を目指す法案は、たなざらしのままだ。戦争は、74年たった今も終わっていない。国は戦争だったのだから受忍すべきだという。だがこれは、戦争放棄を掲げる憲法の精神に反していないだろうか。
東日本大震災と原発事故の記事には分厚い蓄積を感じた。11日朝刊25面では、江東区東雲住宅に住む福島からの避難者の一部は、今月で退去を求められることを伝えた。条件によって違いはあるが、2年前からすでに無料ではなくなり、やむを得ず4月以降も住み続ける場合は2倍の家賃を払わなければならない。避難の共同センター事務局長・瀬戸大作さんは「2年前の無償提供打ち切りで困ったのは、母子避難者。今は、非正規で働く30~40代の単身女性が多い。貧困に陥っているのに、1人なんだから帰れという」と言って憤る。構図はまさに戦争の被害者と重なりはしないか。
ひとりひとりのいのちは大事にされているのか。9日朝刊の1面は、公立福生病院で、20人の患者が医師の説明で人工透析治療の中止を選び、亡くなった人もいりことを伝えた。重い判断がなされにあたり、倫理委員会を開催し検討した形跡はなかった。今後の取材を注視したい。同じ9日朝刊11面「あの人に迫る」には、「看取りコミュニケーション」の世界で活躍する後閑愛実さんのインタビューが紹介された。最後まで患者を支えるための医療がどうしたら実現できるのか、紙面では、後閑さん自身がリストカットしたときのことが語られる。「自分でもやってみようと、自宅で左腕を切ったんです。痛かった。流れる血が温かいと感じた」。痛い。温かい。優しい気持ち。生きるというのは感じることだと、後閑さんは語る。記者の仕事もこれと似ている。沈潜した記憶が再び世に出るとき、温かい血が流れる。記者もまた返り血を浴びる。取材は苦しいが、われわれが悲劇を繰り返さないためにも貴重な仕事だと改めて思う。(武蔵大学社会学部教授)
*この批評は最終版を基にしています

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