3月21日 サザエさんをさがして クーデター

朝日新聞2019年3月16日be3面:陰謀と裏切りのドラマ あまりのひどい扱いに、堪忍袋の緒が切れたのか、やにわにほうきを振り上げた夫。だがまず見て欲しいのは、冷静さを失わない妻の表情である。「やっぱり来たか」と、まるで夫の決起を事前に察知していたかのようだ。「クーデター」はもとはフランス語。「一般に武力による奇襲攻撃によって政権を奪取することをいう」と事典にある。体力に劣り、準備も欠いた夫は敗れるべくして敗れた。クーデターというより「無謀な反乱」。「南ベトナムのようにゃいかかないのよ」と妻は余裕の表情だ。その南ベトナムで軍が大統領官邸を襲ったのは掲載5日前の1963年11月1日。10年近く権勢を誇ったゴ・ジン・ジェム大統領と弟は拘束、殺害された。だが両社は決定的な違いがある。アメリカという後ろ盾の存在だ。ジェム政権と対立を深める当時のケネディ政権に、以前から軍部の決起を期待する空気があったのは「半ば”公然の秘密”」だったと当時の朝日新聞は伝える。
ただ、周到な準備のもとクーデター支援に動いたかといえば、違うようだ。膨大な資料を駆使して暗闘の実態を描いた『ケネディはベトナムにどう向き合ったのか』によると、ケネディ政権内部はジェム打倒派と支持派に分裂。大統領は腰が定まらず、時間だけが過ぎ、状況を把握できないままでの「クーデター黙認」となった。「権力を握った軍人らはジェム以上に統治能力がなく、米国にとって事態はさらに悪化した」(著者の松岡完筑波大教授)。64年1月には新たなクーデターが勃発。ベトナム戦争は泥沼化、米軍撤退後の70年代半ばに南ベトナムは北ベトナムに吸収されて姿を消す。
2年10カ月と短かったケネディ時代はクーデターが頻発した。韓国では61年に朴正熙少将を中心とした軍事クーデターが米国の関与がない中で起きた。朴政権は「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を成す。ただ強権的な手法は強い反発を呼び、朴氏は79年に側近に撃たれて死亡した。父の威光を背に政界入りした長女の槿恵氏が2013年、「親子2代の大統領」に就任。しかし「大統領になると、父の悪いところしかマネしなかった」(重村智計・東京通信大学教授)。自身のスキャンダルが発端となり、かつて父の政権に弾圧された側の流れをくむ野党はもちろん与党にも見放され弾劾、逮捕された。因果は巡る糸車、なのである。
日本も人ごとではない。中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼした乙巳の変。戦国時代の覇王・織田信長を明智光秀が襲った本能寺の変。1936年、陸軍若手将校らが「昭和維新」を掲げ起こした2.26事件・・。 近年、国内でクーデターうんぬん取りざたされるのは企業のワンマン経営者の失脚だ。82年、三越の岡田茂社長(当時)が突如解任された時に発した「なぜだ」は流行語になった。昨年東京地検に電撃逮捕された日産のゴーン会長(同)は拘置所での外国のメディアとのインタビューで述べた。「これは裏切りの物語だ」 クーデターにはどこか蠱惑的な響きがある。秘密の謀議、側近の背信、不意打ち・・。人間社会に潜む不気味さに満ち、長く語られる物語性を帯びているからだろう。(小北清人)*写真は、クーデターでゴ・ジン・ジェム政権が崩壊し、にぎわいを取り戻した寺院=1963年11月、南ベトナムの首都サイゴン(当時)

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