3月2日 三島弥彦ー金栗四三と初の五輪出場

朝日新聞2019年2月23日夕刊1面:忘れられた快足輝く 手紙・写真 孫が発見 マラソンの金栗四三ととにも1912年ストックホルム五輪に出場し、日本初の五輪選手となった三島弥彦。NHK大河ドラマ「いだてん」では生田斗真が演じている三島の当時の日記や写真などが、孫・通利さん(67)の東京都内の自宅で大量に見つかった。若き日の金栗と一緒に写った写真もある。大河ドラマで女学生に人気のスポーツマンとして描かれている三島は、薩摩藩士で警視総監を務めた子爵三島通庸の五男。学習院中等、高等学科の頃から野球部の投手として鳴らしたほか、陸上短距離、ボート、水泳、柔道、相撲、スキー、スケートなど多競技で活躍した。東京帝大に進んでから本格的に始めた陸上短距離で頭角を現し、11年に羽田競技場で行われた五輪予選会に金栗らとともに出ると、100、400、800㍍で1位に輝き、翌年の五輪に金栗と2人で出場した。今回、通利さんの自宅からは、羽田で開催された予選会の時の記録証やストックホルムへの経由地ウラジオストクへ向かう船上で金栗らと写した写真、ストックホルム五輪の開会式の写真のほか、五輪時に家族にあてた手紙も見つかった。
三島はストックホルム五輪では100、200㍍で予選落ち、400㍍は準決勝棄権に終わった。家族あての手紙には「競走はとうとう負けてしまいました。米国の人が殆ど走りこでは皆勝ちました」(原文のまま)と淡々とつづった。レース前に兄の弥太郎(当時・横浜正金銀行頭取、後に日本銀行総裁)に向けた手紙には、右足を痛めたこと、本を読む暇もなく、帰国後の試験が心配なことなどを書いている。三島の回想によると、大会までの1ヵ月間、ストックホルムで金栗が練習する時は三島がついていき、三島が練習する時は金栗がタイムを計るなど協力し合っていたという。
三島は五輪の翌年、東京帝大を卒業し、横浜正金銀行に入行。サンフランシスコ、ロンドン、北京など世界各地の支店で勤務し、スポーツ界とは一線を画することになる。長男の妻まり子さん(93)は晩年の三島について「私が聞くまで五輪に出場したことさえ話さなかった。聞いたら『出たよ』ってそれっきり」。自らの功績を進んで口にすることはなかったようだ。三島は54年に67歳で亡くなる。当時まだ2歳だった孫の通利さんに、祖父の記憶はない。今回、見つかった写真などは、「日本初のオリンピック代表選手 三島弥彦」(芙蓉書房出版)にまとまり、出版された。通利さんは「様々なスポーツに挑戦し、海外で見聞を広げた祖父のパイオニア精神に感銘を受ける。大河ドラマにも取り上げられるのは一族として不思議な感じ。弥彦も含め、埋もれていた歴史に日が当たるのは光栄です」と話している。本の編集にあたった長谷川怜さん(愛知大学国際問題研究所客員研究員)は「三島の姿を現代に示すことができて良かった」と話している。(細川貴広)

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