3月19日てんでんこ 新聞舗の春「13」

朝日新聞2018年3月9日3面:「夜は暗いし、スーパーもない。今の状況では帰れないんです」 2017年12月、福島県浪江町の議会で、教育委員会からある調査結果が公表された。今春、原発事故後に町内で初めて開校する小中学校の児童生徒数が小学生5人、中学生2人になりそうだ、という内容だった(3月現在では小学生8人、中学生2人)。町民登録している小中学生約1200人の1%未満。町は新校舎の改修などに約15億円を費やしていた。
「厳しい予想をしていたが、それよりも厳しい数字です」。教育長の畠山熙一郎(きいちろう)(72)は2月、取材に苦悩の表情を浮かべた。子どもが戻ってこなければ、町はいずれ衰退する。だから新しい学校は、被ばく線量の国の長期目標である年1㍉シーベルトを下回るように除染した。粉じんが舞わないよう校庭を芝生にし、スクールバスでの登下校を原則にした。それでも希望者が集まらない。「7年の年月で、町民の生活も変わった。放射線への考え方も人それぞれだ」
町民の中には、避難先で生活が定着してしまった人も多い。わずかな放射線量でも、子どもには受けさせたくないという人もいる。取材後、町役場近くの鈴木新聞舗に寄って、所長の鈴木裕次郎にも意見を求めた。「便利な都会で避難生活を送った子どもや親が今の浪江に戻ってこられるわけじゃないですか」。
裕次郎は言った。事故を起こした償いとして、東京電力は賠償金を支払った。しかし、避難指示解除から10カ月が過ぎてもこの町にはスーパーも病院さえもない。小学6年生の女児を抱える母親(41)が、匿名を条件に取材に応じた。「娘は避難先の中学に行かせます」母親は浪江町出身。原発事故で福島県中部に避難した後も、娘は浪江町のコミュニティーの中で育てたいと、浪江町が同県二本松市内に開設した浪江町立小学校の仮校舎に娘を通わせ続けた。
今春、浪江町で学校が再開すると聞き、真剣に悩んだ。町にも親類にも相談した。「でも、今の浪江町では夜も暗いし、スーパーもない。私たちにはちょっと無理です。いつかは浪江に戻りたいけれど、今の状況では帰れないんです」母親は唇をかんでうつむいた。隣で話を聞いていた女児が「お母さん、私、避難先の中学校で頑張るよ」と言った。(三浦英之)

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