3月19日 平成とは 小売り激変「3」

朝日新聞2019年3月14日夕刊10面:カリスマの退場 ダイエー創業者の中内功(故人)に最初に会ったのは、2000年1月だった。大阪経済部員の私は連載「航跡・新世紀」を担当していた。お題は「流通革命」。中内の生き様から小売業のこれまでとこれからを書く取材だった。ダイエーの本社機能があった東京・芝公園の通称「軍幹ビル」の一室に通された。テーブルと椅子2脚しかない小部屋である。入ってきたのは中内1人だった。経営者への取材は応接室に通さることがほとんど。だが、カリスマは14階の執務室から1人で下りて、私の前に座った。「自ら出向く」のが中内流と後に聞いた。ダイエーは当時、1998年2月期決算で上場以来初の経常赤字に陥り、経営再建の途上だった。中内も99年1月、会長兼社長から会長に退いていた。後任には、元味の素社長で「財務のプロ」と言われた鳥羽董(88)が就任し、資産の売却を急いでいる最中だった。
不振の理由は、阪神大震災で主力店舗が大きな被害を受けたからだ。ただ、衣食住の必需品を扱う総合スーパー(GMS)の不振の方が何よりも深刻だった。私は創業以来の話、小売業の将来を聞き、最後にこう尋ねた。「いつまで経営に携わりますか」「GMSをどう改革しますか」中内は少し考えて、ゆっくりと答えた。「ここまでやってきたからなあ、しゃあないな」「GMSは難しい。どうするかな」私は「当面は経営の一線から引かない。GMS改革は容易ではない」と受け取った。
しかし、中内はちょうど1年後の01年1月30日の臨時株主総会で、ダイエーを去ることになる。前年10月に鳥羽によるグループ会社株の取引が不明朗と指摘され、社内は大混乱に陥った。この責任を取る形で、中内は鳥羽とともにダイエーを去った。GMSの不振は中内退任後も経営課題となり、ダイエーを窮地に追い込んでいった。 =敬称略 (編集委員・多賀谷克彦)

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