3月17日 原発賠償の不条理

朝日新聞2018年3月7日17面:日本原子力発電元理事 北村俊郎さん 1944年生まれ。日本原子力発電で理事・社長室長などを務め、2005~12年は日本原子力産業協会で保守体制改革や人材育成を担当した。 十人十色の暮らし加害者が線引き無数の分断生んだ 約8万人が強制避難を余儀なくされた東京電力福島第一原発事故から7年。東電から被害者に払われていた月々の慰謝料は、今月分までで終わる。前例のない事故とその償いは、福島に何をもたらしたのか。原子力業界は変わったのか。40年以上にわたって業界に身を置き、原発事故で一転して被害者となった北村俊郎さんに聞いた。
ー避難者が受けてきた「精神的苦痛」に対する東電による賠償が、この3月で終わります。「私は福島第一原発から南に7㌔、富岡町に住んでいました。原発事故に伴う大混乱の中、強制避難で自由を奪われた。その後、国が設定した避難区域は行政区域による線引きで、放射線量とは必ずしもあっていませんが、私たちに選択の余地はありませんでした」
「損害や苦痛の代償としておこなわれた賠償でも、私たちは完全に受け身でした。何を対象とするのかさえ、国と東電が決めて『こうします』と言ってくる。そもそも加害者が決めることに強い違和感を覚えましたが、弱い個人はそれに乗るしかない。被害者の暮らしは十人十色でしたが、一定の賠償が決められました」
「個々の損害への賠償のほかに、さまざまな気持ちは全て『精神的な苦痛』にまとめられました。苦情も不安も怒りも人それぞれのものが、一律に1人月10万円。そして、不満が出るとその都度、国と東電は追加で対応しました。賠償対象は、国が指定した避難区域だけだったのが、原発50㌔圏に広がり、そこにも含まれない県内の住民には県が一時金を配ったのが一例です」
ー賠償の区切りの一方、苦痛には区切りがつくのでしょうか。「個々の思いはまったく違います。私は自己の10年前に移住してきましたが、事故直前に移ってきた人も、先祖代々のお墓があるという人もいます。それが全部同じ扱いにされてしまった。7年がたち、被害者の暮らしはさらに多様になりました。一律の賠償とは大きな矛盾、ずれが生じています。『でも賠償は終わった』と我慢しなければならないのか、という疑問を住民は持ち始めています。個別の賠償は終わったかもしれないが、地域が元に戻ったわけではない。ふるさとは壊されたままだとみな思っているのです。特に避難指示が解除されて、自宅に戻った人はそう思っていますね」
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ーしかし、そもそも避難の長期化は、原発事故がゆえの事態です。もともと、加害者側である原子力業界に身を置き、原発を推進してきた立場として、どう考えますか。 「福井県や茨城県の原発の現場で働き、業界団体でも国内外の原発を調査しました。推進してきた人間として、今回の事故に対し、本当に無念さと、深い反省が入り交じった複雑な思いでここまできました。事故を生んだのは、想定の甘さです。われわれ原子力関係者は、開発計画や経済性にこだわり、より一層安全にしようという意欲が明らかに不足していました。原子炉の格納容器まで損傷し、安全性の根拠は次々と崩れました。国も電力会社も住民避難という事態が起きうることから目をそらしていたのです」
ー賠償が始まった当初、「福島は2度壊される」とネット上などで発信していました。 「まず、原発事故は、暮らしや産業を徹底的に破壊しました。その状態をさらに壊したのは『賠償』だったと思います。地域では、家も土地も、積み上げてきたものが全て賠償という形で現金化されました。形があるのもだけでなく、避難に伴う大変な思いも、『精神的な苦痛』として現金化されました。
「金の問題に人々は敏感です。元には戻らない以上、受け取る側の『まだ足りない』という声が消えることはない。一方で手厚くくれば、受け取らない外部の人から『もらいすぎ』と非難される。受け取る人の中で差がつけば、少ない側は不満を持ちます。どう配っても必ず、嫉妬や不満、新たな分断が生まれる。『賠償』が壊したのは、地域の人間関係でした」
ー事故から7年。地域の人間関係はどうなったのですか。 「いくらもらったという話は被害者の間でもタブーです。以前の仕事や財産のほか、特に家族構成で賠償金には大きな違いが生じました。『精神的苦痛』への賠償は1人あたり750万円、帰還困難区域の場合はさらに700万円。道一本隔てて額がまったく違うこともある。他人と比べれば途端にギスギスするし、実際に多くの人間関係が変わりました」
「強制的に避難させらた人たちからみれば、避難していない福島県民にも全員に金が配られたことには、やはり違和感がある。一方、県外には『なんで福島だけ』と思う人もいるでしょう。そう思われていることは私たちも感じています。県境を超えれれば放射線量が変わるものではありません。無数の分断が生まれました」
■   ■  東電は批判回避矛先は被害者にやりきれぬ思い
ーいまネットなどでは、賠償金をもらっている人たちを批判する意見もあります。 「全体でみれば、不満が出るたびに、国や東電が追加的に賠償を重ね、帰還の遅れに伴って賠償期間が長期化したこともあり、結果的には賠償は手厚くなったと私は思います。電力料金への上乗せと復興税を原資とする仕組みのおかげです。国と東電は、自分たちの懐はほとんどいためず、東電管内の電力消費者に加え、全国の消費者にも広く薄く料金を上乗せする、ほぼ青天井の財布ができました。当初4兆円とみられた総額は、いまは約8兆円。国にしても、首都圏の電力をおさえる東電を破綻させるわけにはいかない。東電でなければ賠償のスキームは違ったかもしれません」
「財布がいたまぬ東電や国にとって、『賠償金が少ない』と批判されるより、『払いすぎだ』と外部から思われる方がましです。意図したのかわかりませんが、結果的に、国民負担のもと、自分たちへの強い批判を回避でき、東電は温存された。そして賠償金をもらった方がバッシングされている。何か変です」
「賠償金をどう使うかは制約がありません。ギャンブルに使おうが旅行に使おうが、苦痛を癒せるなら本来はかまわない。しかし、避難生活が長くなれば『いつまでやっているんだ』と思われてしまう。その矛先が、不条理な避難生活を強いられてきた被害者に向いてしまっている7年後の現状は、やりきれない思いです」
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ー加害者、被害者の両方の立場を経験し、だからこそたどり着いた改善策はないでしょうか。 「事故の後、私が鮮明に思い出したのは、フランスの原発を視察したときに見た訓練でした。大規模な訓練をしているだけでなく、事故時の混乱を想定して、わざと間違えたデータを入れ、それを見抜けるかどうかまでテストしていました。実際、福島第一原発は情報が錯綜してめちゃくちゃな状況になった。いま、原発を日本で再稼働するなら、日本でもそこまでの訓練をしなければならないと思います。避難計画も精緻に準備しないといけない。しかし、7年たってもそれができていません。例えば、バスを50台も集めて訓練すると、地元の人がびっくりする。『原発は安全じゃないんだね』となる。そう思われては困るから、と大規模な訓練はしない。この『安全神話の罠』のような状況を脱しないといけないと思います」
ー自宅は帰還困難区域です。戻る気持ちは変わりませんか。 「帰りたいけど、本当に帰るだろうか、と感じ始めています。帰還困難区域のうち、私の自宅は解除まで10年はかかる地域にある。10年後は83歳。施設や病院に入っているかもしれない。車がないと生活できない地区なので運転ができるかも問題です。月1回程度、自宅に短時間戻りますが、除染した土を入れる黒いフレコンバックは、帰るたびに増えています。周囲に大量に山積みされた黒い袋を目にするたび、『ここに穏やかな気持ちで住めるのだろうか』と不安になります。それが、偽らざる気持ちです」
ーたしかに、人口が1万5千人いた富岡町で、避難指示が解除された地区に戻った人は約450人にとどまります。 「頭に浮かぶのは、米国のスタインベックの小説『怒りの葡萄』です。1930年代、凶作と大資本に仕事も土地も奪われたオクラホマ州の農民が、豊かとされたカリフォルニア州に移り住み、そこでも理不尽な差別に翻弄され、家族や仲間を次々と失っていく物語です。理不尽に避難生活を送ることになった私たちも、最初は団結して帰還を願っていたのに、どんどん分断されていっています。新天地に適応できる人とできない人がいる。年をとるばかりか、『お前の家の解除は後回しだ』と国に決められる。自分ではどうしようもない不条理が次々と降りかかる。帰還困難区域の中で解除時期が違うことを、賠償でどう扱うのかも定かではありませんが、どう決めてもまた新たな分断が起こります。日本版『怒りの葡萄』にまだまだ終わりは見えません」 (聞き手・山田史比古)

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