3月16日 バブル崩壊をたどって「6」

朝日新聞2019年3月12日夕刊2面:公的資金と「香典」教訓は バブル崩壊の悪影響を小さくするためには、どのような額の公的資金をいつどのように投入するべきなのか。後世に引き継ぐべきおそらく最も重要な教訓について、この27年間議論は対立している。日本債券信用銀行が破綻したときの頭取、東郷重徳さん(75)は振り返って言う。「破綻したとこに出すのは公的資金とはいわないんです。『香典』というんです。死んだ人に出すお金はお香典なんです。ぼくらがもらったのは香典。生かすために出す公的資金とは全然違う」 日本銀行の国際局長だった東郷さんは1996年、信用不安に揺れる日債銀に日銀から送り込まれ、資金集めに苦労した。97年に頭取に就任したが、翌98年に政府から破綻を通告され、99年、逮捕された。すると、預金保険機構から日債銀に3兆1411億円が贈与された。東郷元頭取が「香典」だと指摘するのはこの3兆円余りのことだ。債務超過を穴埋めするための資金で、戻ってくることはない。
これとは異なり、公的資金で資本を注入する方法もある。銀行が立ち直れば、戻ってくる可能性がある。日債銀は97年末に800億円、98年3月には600億円の注入を受けたが、結果から見れば、少なすぎた。「公的資金の投入が小さかったから、日本は金融機関の立ち直りが遅れた」と東郷さんは言う。バブル崩壊が始まって間もない92~94年に大蔵省銀行局長を務めた寺村信行さん(81)は異なる意見を持つ。
寺村さんによれば、92年当時、銀行局内で昭和金融恐慌について研究した。その結果、公的資金を使うのは債務超過に陥った金融機関に限る、との方針をたてた。そうでないと、国民から非難され、かえって事態を紛糾させる。それが昭和金融恐慌の教訓だったという。実際、寺村さんの後任の銀行局長の時代に大蔵省が住宅金融専門会社の破綻処理に6850億円の財政資金を投入すると決めるた際には国民的な非難が押し寄せた。大蔵省の行政への国民の信頼が低下。
その後、金融危機が深まった97~98年に迅速に動けなかった、と寺村さんは分析する。寺村さんは「軽々な公的資金投入をやったら問題を起こすということでうす」と話す。日債銀にどのように公的資金を入れるのが本当に正しかったのか、私は迷う。破綻時の日債銀会長、窪田弘さんは99年、東郷さんとともに逮捕・起訴された。元大蔵省高級官僚の窪田さんが日債銀に入る前に北海道東北開発公庫の総裁を務めた時の部下、渡辺陽一さん(79)によれば、窪田さんは裁判中から、人生を振り返った手記を残すつもりだった。
「今回と同じく金融システムの不備と危機への対応が問題となった昭和金融恐慌では、一方の当事者である金融機関側の手による記録があまりにも少ないのだよ」 2008年5月、窪田さんはそう語った。窪田さんはすでに健康を害しており、11年に東郷さんと一緒に無罪の判決が確定したが、手記を出すことのないまま13年に死去した。(奥山俊宏)

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