3月13日 東京大空襲74年 遺族会が犠牲者名一部公表

東京新聞2019年3月8日26面:生きた証し埋もれさせない 家族逃がした父 遺骨もなく 「名前の公表が犠牲者の生きた証しとなり、慰霊になると思うんです」17歳で東京大空襲に遭った大野邦彦さん(91)=横浜市青葉区。遺族会が会報「せめて名前だけでも」に載せて公表した親族らの名前を指でいとおしげになぞる。載っているのは、遺族会が集めてきた約1万人のうち、遺族らの承諾を得た68家族の205人分。大野さんは東京都浅草区千束町(現台東区)に住んでいた。一時預けられておた伯父の家から戻り、家族と暮らすようになって3年たったころ。当夜は夜学の傍ら働いていた都庁の宿直で、家を離れていた。
翌朝、地下鉄田原町駅に戻り、地上に出て目の前に広がる焼け野原に目を疑った。家族を探して近くの千束小学校に行くと、真っ黒に焼けた子どもの遺体が目に入り、恐ろしさで体がすくんだ。隣の公園には、服も焼けたマネキンのような死体が累々と積み上げられていた。「生き残った人たちも半狂乱で、阿鼻叫喚、地獄のようだった」 妹と姉、買い出しに出ていた母は無事だったが、父啓市さん=当時(49)=の姿はなかった。よく一緒に釣りに行った優しい父。病院を探し歩いたが、「遺体の山をかきわけては捜せなかった」。墓には遺骨の代わりに着物の片袖を入れた。啓市さんは、空襲で火の手が迫る中、「邦彦のために」と残り少ないコメを石油缶に入れて防空壕に埋め、家族を先に逃がしたと聞いた。掘り返しに行き、無傷のコメを見て涙があふれた。
慕ってくれた近所の小学2年の女の子の一家は、全員助からなかった。毎年3月10日は東京都慰霊堂(墨田区)に欠かさず通う。啓市さんの隙だったたばこと、おはぎなど甘い物、線香と花を供え、塔婆をたてる。「行けば父や近所の人にも会える。父は私のために命を落とした。親不孝だった。炎の中を逃げ惑った妹は『思い出したくない』と当時を語らないまま亡くなった」 犠牲者が生きていた証を残した思いから、空襲前の千束の地図を何年も作り続けている。他の生存者の協力を得ながら、住宅地図に住民の名前や店を詳細に記録してきた。「当時を知る人もいなくなった。最近、足が急に弱くなってきて。
今年は都慰霊堂に行けるだろうか」と寂しげだ。名前の掲載に応じた理由を「一家全滅で名簿に名前のない家もあると思う。公表に抵抗がある人もいると思うが、このまま人知れず埋もれてしまうよりは・・」と話す。都が集めている「東京空襲犠牲者名簿」の公表も望んでいる。「名簿が公表されれば、名簿に名前がない人を思い出す人もいるかもしれない。1人でも多くの名前を残せたら」
同日27面:都は8万人超名簿公開を 被害の実相伝えなければ 遺族会はなぜ、名前の「公表」に踏み切ったのか。そこには、都が持つ「東京空襲犠牲者名簿」の公開を求め、拒まれてきた経緯が関係している。榎本喜久治事務局長(84)は「一貫して『非公開』としてきた、都の厚い壁を突破したい」と話す。公表に同意した遺族の女性は「生きていた証しとなり、無駄死にをさせないですむ。人々の目に触れてこそ戦争の愚かさを後世に伝える大きな力となる」とメッセージを寄せた。別の男性も「行政の勝手で公開しないのは許せない。戦災死者一人一人の尊厳を考えてほしい」と求めた。都が犠牲者名簿の作成に着手したのは1950年代にさかのぼる。遺骨の引き取りを呼び掛けた際に、遺族が申し出た氏名を記録した約3万人分の「戦災殉難者霊名簿(殉難者名簿)」など、複数作られた。一方、米軍による東京空襲は100回以上あり、名簿の犠牲者は都慰霊堂に納められた膨大な遺骨の一部にすぎなかった。「公に調べないならば、自分たちで」と、遺族会の前身団体が96年に始めた収集運動を受け、都も99年以降、東京空襲犠牲者名簿の作成を続けてきた。現在、都の名簿登録者数は8万1147人となったが、公開に応じる様子はない。原本が納められた都慰霊堂隣の「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」に、遺族が入れるのは3月10日と9月1日の年1回のみ。35巻の名簿はガラスケースに収納され、表紙しか見られない。申し出があれば、該当する犠牲者の部分だけ写しを渡しているという。都の石岡由江文化事業課長は「名簿収集の目的はあくまで追悼で、公開ではない。遺族の意思に反する可能性もあるため」と公開しない理由を説明する。ただ、全国を見れば、沖縄の「平和の礎」のように行政が犠牲者の氏名を公開しているケースはある。同県の基本方針は「国籍を問わず、沖縄戦で亡くなったすべての人々」を対象とし、約24万1500人が刻銘されている。大阪市の大阪国際平和センター(ピースおおさか)も、府の委託を受けて収集した空襲死没者の名簿の一部や、氏名を刻印したモニュメント「刻の庭」を展示している。専門職員の田中優生さんは「ここは資料館なので、展示で空襲被害を伝えることも大切な役割。かつては十分な弔いができなかったなどの後ろめたさから、公開しないよう望む遺族もいたかもしれないが、近年は展示を了承する遺族がほとんど」と話す。こうした中、東京空襲犠牲者遺族会は9日後議1時から、台東区の浅草公会堂で開かれるトークイベント「空襲死者の行方」で、会報で公表した205人分の名簿を配る。若い参加者も交え、犠牲者の氏名公表のあり方を考える予定だ。空襲研究が専門の山本夕唯人・青山学院女子短期大助教は「公表した205人の名簿は決して消えない人たち、確かな真実だ。誰が、東京のどこで亡くなり、どう調べたかという生のデータに当たれなければ、私たちは被害の実相を知ることはできない。当事者である遺族会が投じた一石は重い」と評価する。そのうえで、名簿の公開を拒む都の姿勢を「今も解明されていない甚大な空襲被害に対し、事実の検証や記憶を継承しようとする努力もせず、追悼が公の役割だというのであれば、役割を矮小化しすぎだ」と批判。むしろ行政だからこそ、条例や遺族の意向確認などを通じ、名簿の公開を進められると説く。「今のままでは、8万人余という犠牲者の数字が独り歩きしかねない。そもそも都の名簿は遺族会も協力して作られた。みんなで共有すべき情報のはずだ」 デスクメモ 東京空襲犠牲者遺族会は死者約6600人の性別、年齢も分析している。壮年層は微兵の影響で男性より女性が多い。最も多い年齢層は「10歳以下」で、次が「20歳以下」。学童疎開した世代は少ないが、親を失った人も多いはずだ。被害は非戦闘員に集中していた。

 

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