3月12日 又吉直樹のいつか見る風景

朝日新聞2018年3月3日be4面:ラブドールのショールーム(東京)それと契りを交わしている僕はやがて声を聴くかもしれない 幼い頃、近所に住む同世代の子供達と一緒に遊ぶのが苦手だった。彼等の遊び方に、まったくついていけなかったからだ。女の子は、赤ちゃんの人形を本当の赤ちゃんのように大切に扱い、お母さんの口調で優しく話し掛けていたし、男の子は人形同士を自分で動かしながら、「ビシッ!」、「ズシッ!」、「ウォー!」などと音をつけて真剣に戦わせていた。
一緒に遊びたいという気持ちはあるのだが、「こいつらは、なにをしているんだろう?」という冷めた気持ちを消すことが出来なかった。彼等の遊びを近くで黙って見ていると、自然な流れからのその世界に誘われることがある。たとえば、女の子が、「はい、お料理作るから、ちょっと見といてね」と赤ちゃんの人形を僕に渡したりするのだ。
我が友ドブ太郎 突然、赤ちゃん人形と二人きりの空間を作られるのだが、僕は自分がどういう役回りなのか、つまり自分が誰なのかがわかっていないので、どう対処すればいいのかわからず固まってしまう。しばらくすると、場所を変えて他の玩具を触っていた母役の女の子が、「あー、もう泣いちゃっているじゃない」と言って、僕から赤ちゃんの人形を奪う。もちろん僕には赤ちゃんの泣き声が聴こえなかった。
なぜ、みんなにはその遊びが出来て、僕には出来なかったのか? おそらく、その行為を信じることが出来なかったからだと思う。数年後、小学2年生の時にドブ川でぬいぐるみを拾った。それは世界的に有名なキャラクターだった。衛生的にどうかなど考えることもなく、僕は両足で挟むようにしてそれを陸にあげた。かなり臭かった。水道の蛇口をひねって水につけると黒い液体がぬいぐるみから流れた。石鹸で繰り返し洗っているうちに、良い香りがするようになった。面倒を見ているうちに愛着がわいてきたので、そのぬいぐるみには、ドブ太郎という名前をつけた。一時、どこに行くにもドブ太郎を抱えていた。あんなにも、人形と会話をしている女の子を不思議に思っていたのが嘘のようだった。僕とドブ太郎は特に会話を交わしたりはしなかったけれど、一言も話さず二人きりでいても苦痛ではなかった。
人形と話す老人 ドブ太郎は学校の学童保育の教室に置いていたので、僕だけではなく、僕より更に年下の下級生達からも愛された。下級生達はドブ太郎を、ドブに捨てられる以前の有名な名前で呼んだりすることがあったが、その度に僕が、「こいつの名前は、ドブ太郎って言うんやで」と教えてあげた。その時の僕は、かつて僕に赤ちゃんの人形を託した女の子と同じ顔をしていたかもしれない。
大人になってから新幹線の三人席の窓側の席に座っていた時のこと、隣に座る老人がずっと人形と話していた。老人は、その人形を孫のように可愛がっていた。老人の隣の通路側の責に座っていた若い女性と眼が合うと、老人は「なんだ、貴様!」と大きな声を出した。怖かった。
これはトイレに行けないと思ったが、緊張したためか直ぐにトイレに行きたくなった。しばらく我慢したが、限界が来てしまったので、怒鳴られることを覚悟したうえで、老人に「すみません」と声を掛けると、老人は僕を見てトイレと察したのか慌てて身体を引き、「ごめんね、通れるかな?」と人形に対する口調と同じ優しい対応をしてくれた。トイレから帰ってきても「はいはい、お帰りなさい」と迎え入れてくれた。なぜ僕にも優しくしてくれたのか通路側に座る女性は納得のいかない表情を浮かべていた。もしかしたら、僕がドブ太郎と契を交わした気配を老人は感じとっていたのかもしれない。上野にあるラブドールのショールームに行った。ラブドールの存在は知っていたけれど、実際に目にしたそれは想像とは全くの別物だった。触れてみて更に質感に驚いた。知識や観念を捨てて越えなければならないはずの境界が極めて薄い。その存在感たるや。声が聴こえるかもしれないと思った。
(芥川賞作家・お笑い芸人)

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