3月10日てんでんこ 新聞舗の春「7」

2018年2月3月1日3面:高齢者の孤独死に気づけない。人のつながりを取り戻したいと思った。 2016年秋、福島県浪江町では避難した住民が一時帰宅する「準備宿泊」が始まった。政府は15年夏、帰還困難区域外の避難指示を17年3月までに解除する目標を立て、住民の帰還に向けて除染作業を進めていた。
避難指示が解除された場合、新聞販売所「鈴木新聞舗」を再開すべきかどうか。前所長の鈴木宏二(74)と、次男で現所長の裕次郎(34)は、激しくぶつかった。宏二は廃業を訴えた。「経営が成り立たない。あの町に今後、どれだけの住民が戻ってくるのか、誰にもわからない」
東日本大震災前、浪江町は町民の8割が新聞を購読しているとされる「新聞の町」だった。人口2万1千人、約7700世帯。新聞舗が約3200部。競合店も同程度の部数を販売していると宏二はみていた。だが、宏二が町の関係者から聞いたところ、避難指示解除後、予想される当面の帰還人口は、わずか約千人。
新聞販売所にとって、収益の大きな柱が折り込みチラシだ。住民が戻らず、スーパーや飲食店の再開がほとんど見込めない町で、チラシを折り込んで欲しいと依頼してくる事業者がどれだけいるだろうか。それでも、裕次郎は再開を強く望んだ。震災翌日の3月12日未明、配れなかった新聞を住民が避難している体育館へ届けた時、人々は競い合うようにして新聞を手に取った。「俺にも1部くれ」と叫ぶ声。その光景に、心のどこかで使命感を感じていた。浪江は、まだメールやインターネットがさほど一般的でない高齢者が多く暮らす町だ。ならば、人が戻ってくるためには、情報インフラとしての新聞がいる。
避難生活中、裕次郎は東京都内の新聞販売所でアルバイトをした。郊外の団地を回った際、高齢者の孤独死の可能性を通報することが度々あった。郵便受けに新聞がたまり、換気扇にハエが群がっている。隣人が亡くなっているのに、多くの住民が気づけない。
「浪江町でならこんなことはありえない」そう思った瞬間、原発事故によって失われてしまった、故郷における人と人とのつながりを取り戻したいと思った。「生まれ育った浪江町の力になりたい」裕次郎の熱意に宏二は折れた。そして告げた。「厳しいぞ、心してかかれよ」(三浦英之)

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