3月10日 平成から新時代へ 政治改革のつまずき インタビュー

朝日新聞2019年3月5日17面:小選挙区制合意 信頼取り戻すため必要な妥協だった 平成を振り返り、新しい時代を展望するインタビューシリーズを始めます。まずは衆院議長や自民党総裁を務めた河野洋平さんに、55年体制が終わった後の激動の平成政治を語ってもらいました。いまの一強多弱につながる政治状況を生んだ源流とは。 元衆院議長・元自民党総裁 河野洋平さん1973年生まれ。67年から衆院議員に連続14選。93年に自民党総裁。2003年から09年の衆院議長在任2029日は帝国会議時代も含め歴代最長。
ー平成の30年間をひとつの言葉で表すとしたらどのように。「1995年の戦後50年ごろまでは戦争への強い反省があり、焼け野原になった日本を立て直す努力を迷いなくしてきました。その後はどちらに進むかを考えなくてはいけなくなり、向きを変えたり足踏みしたりして考える。そういう『踊り場』の時代だったと思っています」 ー政治も「踊り場」にあったというわけですか。「この30年の政治を大づかみに言うと、よかったと思っています。戦争をしなかったからです。91年の湾岸戦争で米国からの要請で前のめりになった場面もあったが崖っぷちで踏みとどまった。PKOも参加5原則の縛りをかけた。いまは見えなくなった(平和主義的な)ハト派が最後の抵抗をしたからです。それは民意がそうさせた。とにもかくにも平成は憲法の精神がぎりぎり貫かれた30年だったと見ています」
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ー平成は冷戦終結、バブル崩壊、そして政治不信とともに幕を開けました。「竹下登内閣がリクルート事件で倒れ、宇野(宗佑)さん、海部(俊樹)さんとつないで満を持して宮沢喜一内閣ができる。ところが世の中は政治不信の渦で、政治のテーブルに載せられていたのは宮沢さんが最も不得意としていた政治改革でした」
ー93年に小沢一郎さんや武村正義さんらが離党して自民党は分裂、衆院選をへて下野しました。河野さんも76年のロッキード事件後に離島して新自由クラブを結党しています。「のちの人たちは生き延びようとして新党をつくったが、ぼくらは永久政権と言われた自民党を飛び出して生き残る確率は極めて小さかった。当時は政党交付金はなくて大変な借金もつくった。いまと違い党内は右から左まで幅広くて居場所がないわけではなかったが、金権批判で民意が離れていたことが離党の最大の理由です」 ー政治改革派非自民の細川護熙内閣へ持ち越しになりました。「政治改革は小選挙区制導入でひと山越えた形になるのですが、結果は細川さんと自民総裁だった私とのトップ会談で決着ををつけるのですが、その時は必ずしも小選挙区制を胸の中に持っていたわけではなかったですね」
ー細川さんは穏健な多党制が持論で、中選挙区での連記制を主張していました。「私は、定数3の100選挙区がいいと思っていました」 ーそれはなぜ合意を。「まとめない限り自民党への信頼は戻ってこないと考えました。離党予備軍が相当いて、党を割らないためにも妥協は必要でした」 ー政党助成も導入されましたが企業献金は相変わらずです。「政党助成は当選議員の頭数でお金を配り制度です。新人候補がたくさんいてもカウントされない。明らかに現職優位で現状維持になる可能性が髙い。おっしゃる通り公費助成をする以上は企業献金は打ち切るはずだったのに、いまだに根本的な見直しはない。選挙制度もあわせ、内心忸怩たるものがあります」 ーそもそも政治改革の発端は政治とカネの問題でした。「宮沢さんは当初、英国式の腐敗防止法で政治腐敗をなくせると考えていましたが、それでは世論が収まらないと小選挙区制に進まざるを得なかった。企業献金については党政治改革委員長だった後藤田正晴さんに『政治資金はゼロにはできないが1人1億円とか上限を決めましょう』と話をしたんです。ところが後藤田さんは『絶対にダメだ』と。『政党や政治家を法律で縛るのはできるだけ少なくしようや。法律で縛ってしまうといつの日か権力者に悪用され、政治家が抑え込まれる。政治家は自分の良識で抑えるべきものだ』という。先輩政治家には、戦前の嫌な思い出が知識や実体験としてあったんですね」
■   ■ 力んだ改憲主張 自民党内から打ち消す波ない
ー改革がもらたした今の政治をどう見ていますか。「候補者が有識者から支持をもらうよりも、党幹部から公認をもらいうことの方が難しくなった。小選挙区制は政党の鈍化を求めるわけです。多様性の観点から候補者を選べなくなった。その欠陥がわかっていたから比例代表並立制にしたのです。小選挙区で多くの死票が出る弊害をなくす狙いだったのに、復活当選で小選挙区の保険のように使われてしまっている」 ー政治改革後、自社両党とさきがけは連立政権を組み、社会党の村山富市さんが首相に、河野さんは副総理兼外相に就きました。 「村山さんは純粋で使命感を持つ特別な人でした。その場面で首相に担いだのは本当によかった。後の政府の歴史認識の基本となった戦後50年談話も出せました」 ー自社さ政権の誕生で自衛隊や安保条約を認め、社会党は思い切った一歩を踏み出すわけですね。そして党名を社民党に変える。イデオロギーにギラギラしていた社会党から現実的な市民生活を考えた社民党に入っていればよかったんだと思う」
ー欧州型の社会民主主義政党に脱皮すていればと。 「そうです。自社さ政権をつくったことで結果的に社会党をつぶしてしまったことに悔いがあります。最大野党時代の国会運営の豊富な経験を持った人たちがいま野党にいれば、ずいぶん違います」 ー社会党に代わる民主党への評価は。 「厳しい時代を歩んだ社会党と決定的に違うのは選挙に対する心構えだと思う。昔の社会党は労働組合としっかり提携していたこともあって地に足がついていた。民主党など新しい人たちは、運よく風が吹けば当選するし、風が吹かなければだめでも仕方ないと思っているふしがある」 ーそれは小選挙区時代に生まれた政党だかでは。「そうですね。民意との接点が少ない。地に足がついていないとの印象を受けます。だからいった民意が離れてしまうと、回復させるのは難しい」
ーそれでも2009年には民主党へ政権が交代しました。「政権交代はあった方がいいんですね。自民党は長く政権を取り続けてきましたけれど、党内では派閥のリーダーの間で疑似政権交代が起きていた。選挙で民意が直接反映されて政権を交代できるならその方がいいわけです。ただし、慣れていませんでした」
ー民主党が政権運営に不慣れだったと。「ええ。最近は米国や韓国でもそうですが、前の政権を全て否定する。変えるべきものは変えていいが、全否定だと国内を二分することはあっても一緒に前進することにはなかなかならないのでは」
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ー穏健なハト派は自民党から消えてしまったのでしょうか。「例えば安倍さんはずっと憲法改正にこだわっている。平成以降、自民党のほとんどの首相が国会演説で改憲に触れなくても党内から少しも不満は出なかった。改憲勢力が党内にずっといるのは間違いないが、安倍さんがあんなに力んで改憲を言うのは驚くべきことです。外国人労働者問題にしても『これは移民政策ではない』とそこだけにこだわっている。そのだけ主張がとんがる。本来はそんなとんがりを打ち消す波が党内から出てこないといけないのに、そうならないのは異常に思えます」 ー最近の国会論戦を聞いても、踊り場から前に進む建設的な議論は聞かれません。「いまの国会審議で一番気がかりなのは急激に積み上げられた防衛予算です。専守防衛という憲法の精神にもとづいて、日本がこれまで持ってこなかった空母まがいの船を持つという。防衛費はしっかり議論してもらいたいが、このままでは時間切れになってしまう。平成の30年間、水際でかろうじて食い止めてきたものが、次の世代で大変なことになる可能性もなきにしもあらず。統計のごまかしは大変なことではあるけれども、国政の問題はそれだけはない。これからどういう国を想定して、新しい時代へと入っていくのか、とても心配です」 ー踊り場の先、日本はどう進むのでしょうか。次の時代を一言で表すとすると。「『坂道』でしょうか。無責任な言い方をすれば、次の時代は『下り坂』かも知れないけど、それでは身もふたもなから坂道。石ころだけの厳しい上り坂を、足元を確かめながら上っていけるのかどうか。大変なことだとは思いますが、上っていく気概を次の世代を担う方々にはぜひ持っていただきたいですね」(聞き手 編集委員・国分高史)

 

 

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