29日 私の十本 吉永小百合【24】

東京新聞2017年8月27日2面:北の桜守 「戦後」大切にしたい 2017年2月、北海道の網走で、吉永小百合さんの新作「北の桜守」の撮影が始まった。1959年に「朝を呼ぶ口笛」で映画デビューしてから58年。吉永さんにとって、120本目の出演作となる。初期の作品など一部を除いては、ほとんどの映画で主演。70歳を超えた今も、ヒロインとしてファンを魅了し続ける女優は、世界の映画界でもまれな存在だ。
その吉永さんにとって、記念すべき作品の企画は、「オホーツク海の流氷」から始まった。「もともと、120本目は『北の零年』(2005年)、『北のカナリアたち』(12年)に次ぐ”北の三部作”の最終章にしたい、という思いがあったんです。2015年の2月に網走でオホーツク海の流氷を見て、とても感動したので、前二作の脚本を書いていただいた那須真知子さんに、新作にはぜひこの流氷を入れたいですね、と話したのがきっかけになりました」
翌16年の2月には、那須さんと、新作のメガホンを取ることが決まっていた滝田洋二監督と一緒に流氷を見て、北海道各地を回った。「そのとき、網走刑務所の前の凍結した坂道で転んで、左手首を骨折してしまったんです」
翌月開かれた日本アカデミー賞授賞式に、左手に包帯を巻いて出席した姿が話題になったが、吉永さんは、新作との関係は一切明かさなかった。
約1年後、流氷から始まった企画は、第二次大戦末期に日本領だった南樺太(現ロシア・サハリン南部)から脱出、北海道にたどり着いた母と息子の戦後を描く物語として完成、撮影が始まった。「母と息子、嫁の間にはホームドラマ的な部分があり、『獅子はわが子を千尋の谷に落とす』親子の関係もある。戦争の後の耐えられない悲しみも描かれていて、いろんな要素がある作品です。”究極な母親”みたいな役ですし、こんなふうに戦後の大変の時期を必死で生きてきた人たちを忘れてはいけない、という思いもあります」
1945年、日本が敗戦した年に生まれ、戦後とともに年を重ねてきた吉永さんには「戦争の時代が再び来ないように、『戦後』という言葉を大切にし続けたい」という強い思いがある。「映画の仕事をしていく中でも、常に、そういう歴史に関わっていきたいという思いがありました。戦争中に学童疎開船の対馬丸が沈められ、大勢の沖縄の子どもたちが犠牲になった事件も、何とか映画にしたいと思ったことがあります。今回の作品では、樺太から引き揚げてきた人たちの身に起こった戦争の悲劇を事実を基に描いているのですが、ダイレクトに見せるとつらくなりすぎるので、映画の中では舞台劇として表現するという方法になっています」
119本目の作品だった「母と暮せば」を取り終えた後、「一番難しい役でした」と語った吉永さんだが、「北の桜守」が始まってからは「今度の方がもっと難しい」と思うようになった。「こんなにきつい、おかっないお母さん役は初めてですし、舞台のお芝居をするのも初めて。それに38歳の時代から演じなければいけない。動作やせりふのしゃべりか方を工夫して、見る人に違和感を与えないようにしたいと、頑張っています」
120本目の先、についても聞いてみた。
「心身の衰えを感じることは確実にあります。でも、そういうときにはあせらずに、自分を受け入れ、今の自分の力に合わせていくのが大事だと思っています。残り時間は、考えてもその通りにいかないので、考えません。120本目の先があるか。それは、この作品で、私がしっかりと最後まで完走できるかに、かかっていますね」 (聞き手=立花珠樹・共同通信編集委員) =おわり

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