28日 温故知新 樋口陽一

朝日新聞2017年8月26日be9面:ただの大名衆VS.芸道に生きる者 海音寺潮五郎の「茶道太閤記」。両大戦期間「大衆文学」のこの傑作は、戦後「純文学」分野の野上弥生子の名作に先んじて、「秀吉と利休」を対等の人格として造形しました。小説は1940年7月から12月まで東京日日新聞(毎日新聞の前身)紙上に掲載されたのですが、社からの強い求めで年内完結を余儀なくされました。対中戦争開戦から3年余、真珠湾攻撃1年前という「時局」がそれを強いたのです。
≪あの人々は、せんずるところ、ただの大名衆。百年後、二百年後、三百年後、名前の残る人々ではござらぬ。が、拙者は芸道に生きる者、(中略)一言一行、かりそめなことは出来ぬ身でござる。何と申されようと無駄≫ 利休の娘を所望する秀吉からの使者が、前田利家や蒲生氏郷も喜んで応じたのでは・・・、と説得に来たのをきっぱりと断る言葉です。この箇所の字づらだけでも、「非常時」のさなか、大胆な言わせようではありませんか。「大名衆」と「芸道に生きる者」の対称から、京大事件、天皇機関説事件、矢内原事件と続く受難のことこを知る読者なら、理不尽な権力とペンの抵抗という対称を読み取っていたでしょう。
しかもその上に、です。利休の自裁で終わる物語は、家康の頼みをあえて引き取って外征を諌止しようとし、秀吉の激怒を買う場面で緊張の極みに達します。大名たちは「異国征伐」を「よくないと思っているくせに、怒りに触れることを恐れて諫言を奉り得ないでいる」「武勇を建前とする大名衆のえせぬことを、この老いぼれの茶坊主がして行こうぞ」。-20世紀の「異国征伐」が始まって既に3年、更なる「征伐」へと向かう臨戦態勢の中で、驚くべき場面設定と言うほかありません。
秀吉の権力は有無を言わせぬものでした。日本帝国の権力は「皇軍」を名乗る人々の手に帰していました。21世紀初めの日本は幸いにも、国民の選挙を通して信任を与えられた人たちが権力に着く、という仕組みを持っています。その違いの意味は大きい。一方で、およそ権力によって曲げることの出来ない「芸道」があることは変わらないはずです。表から見えなくとも一人ひとりにとって「これ」と決めた「道」があることに、おのずと思いは及びます。「大衆文学」恐るべし。
(憲法学者)

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