27日 私の10本 吉永小百合10

東京新聞2017年4月23日2面:動乱【上】 1980年1月に公開された森谷司郎監督「動乱」は、吉永さんにとって、ターニングポイントになる作品だった。自著「夢一途」で吉永さんはこう記している。「私は再び映画への情熱を蘇らせてくれる作品にめぐり逢うことができたのでした」
「蘇る」という言葉から、それ以前は映画への情熱が失われていたうという心の状態がうかがわれる。吉永さんにいったい何があったのだろう?
「74年の『男はつらいよ寅次郎恋やつれ』の直後に、浦山(桐郎)監督の『青春の門』に出ました。シナリオを読むと私の役じゃない。もっと女っぽくて、パワフルな方じゃなきゃ無理ですと何度も断ったんです。でも、最後に新宿のお店で監督がビールを飲みながら『初めて他社(東宝)で撮るから、同じ日活の仲間とやりたいのよ』と、たばこの灰が食事に落ちるのも構わないでおっしゃる姿を見たら、これはやっぱり出るべきかな、と思ったんです。でも、出来上がった映画を見たら、やっぱり私の役じゃない。無理してやったけれど、うまくいかなかったということで、精神的にダメージを受けたということがあります」
撮影前の打ち合わせで、ラブシーンではヌードにならないと決めてあった。だが、完成後「なぜ脱がなかったか」と批判する声も出た。「あのときは、監督が『俺が決めたんだから』と、かばってくださった。それは、とてもありがたかったです」情熱がうせそうになったのは、そのことだけが理由ではない。「青春の門」が公開された75年に30歳になった吉永さんは「どうしてもやりたい作品」に出合えない状況に値面していた。女優だけでなく、多くの女性たちが感じる年齢の壁に、吉永さんもぶつかっていたのかもしれない。
東映の岡田祐介プロデューサー(現・東映会)から「動乱」の話があったのは、ちょうどそんな時期だった。「高倉健さんと私でということで、時間をかけてじっくり練っていただいた企画でした。脚本も素晴らしく、出演を決めるのに何の迷いもありませんでした。そして、何よりも感動したのは、丁寧な映画作りです」
「日本沈没」や「八甲田山」で知られる森谷監督は、黒澤明監督の「天国と地獄」「赤ひげ」などでチーフ助監督だった。森谷さんには、おそらく、黒澤監督の本物の絵作りに対するこだわりもあったのだろう。「雪の北海道から始まって、1年間かけて四季折々の風景を入れ、秋に青森の奥入瀬の紅葉を撮って終わりました。こんなに長期にわたって作る映画は、初めての体験でした。ああ、これが映画なんだ。子どもも頃に見た『二十四の瞳』とか『ビルマの竪琴』とかに通じる本当の映画なんだ、としみじみ感じました。『動乱』に出たことで、映画作りの素晴らしさを味わうことができましたし、よし、これからももう一回、映画の世界で仕事をしていこう! と思いました」
吉永さんが「動乱」で演じたヒロイン、薫は、150分の映画に全編出ずっぱりというわけではない。それだけになお「1年間を通して、一つの作品で、一人のキャラクターを、しっかりと自分の中で持って行くのは大変なことだった」と、吉永さんは振り返る。
そのとき、どうやって自分をコントロールしていけばいいのか。吉永さんはそれを、初共演だった高倉健さんの映画に向かう姿勢から学んだ。
(聞き手=立花珠樹・共同通信編集委員)

 

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