26日 私の十本 吉永小百合【17】

東京新聞2017年6月25日2面:華の乱「下」優作さん同市のよう 深作欣二監督「華の乱」の大きなテーマは、吉永さんが演じた歌人、与謝野晶子と、白樺派の作家、有島武郎との秘めた愛だった。有島を演じたのは松田優作さん。吉永さんは映画の4年前、1984年にNHKで放送されたドラマ「新 夢千代日記」で初共演していた。
81年の「夢千代日記」、82年の「続 夢千代日記」に続く人気シリーズ。10回続きのドラマで、松田さんは記憶を喪失したプロボクサーと明治の歌人の二役を演じ、吉永さんと息がぴったり合った演技を見せた。
「ご一緒する前は、優作さんが以前出演していた民放の番組の打ち上げで鉄拳をふるったという話を聞き、正直なところ、本当に大丈夫かなあと心配でした」
だが、顔を会わせると、そんな不安はたちまちふっとんだ。きっかけになったのは、撮影開始直後に行われた83年12月の衆院選だ。吉永さんは、親しかった作家の野坂昭如さんが旧新潟3区から立候補、金権政治を批判し田中角栄元首相に挑む姿に感動し、現地まで応援に駆けつけた。「いてもたってもいられずに、新潟まで行ったんです。選挙の応援演説なんて、生まれて初めてでした。あれが最初で最後の経験です」
帰京した吉永さんは「新 夢千代日記」のリハーサルに向かった。「そしたら、優作さんが近づいてきて『選挙の応援、感動しました』って言いながら、大きな手を差し伸べてくださった。それで握手したら『優作さん、分かってくださったんだ』と、何か同志のような感覚になったんです。それからは『新 夢千代日記』でも、この『華の乱』でも、しっかりと寄り添えた、寄り添って共演ができた、と思います」
松田さんの鋭い感覚や、深い洞察力に驚かされたこともあった。「優作さんから『なんで、夢千代はこんなに優しいんですかねえ』と、いきなり聞かれたことがあるんです。私はそのとき、うまく答えられなかった。そしたら、しばらくたって早坂暁さんの脚本に『どうか私に助けさせてください。私は治らない病気を持った人間です。救けばかり呼んでいる人間です。ですから、誰かの力になりたいんです』というせりふが、出てきたんです。ああ、そうか。夢千代って観音様のように無限に慈悲深いということではなく、人を助け、優しくすることで、自分の弱さやつらさをカバーしているんだ、とあらためて納得した記憶があります」
「華の乱」で大切な思い出がある。北海道・ニセコのロケで、二人並んで馬を走らせたことだ。「川の中で馬を走らせるのは初めてで、大学時代の馬術部のキャプテンにお願いして指導してもらいました。カメラの木村大作さんが、素晴らしい夕日を撮ってくださいましたし、あのとき優作さんと一緒に仕事できたことは、すてきな思い出になっています」
「華の乱」公開は88年10月だった。わずか13カ月後、松田さんはがんのため40歳で死去した。
「『華の乱』公開の後、東京の六本木で、深作さんと優作さんと一緒にお酒を飲みました。それが最後になりました。ご病気のことは知らなかったので、知らせを受けたときは本当に驚きました」
「華の乱」の後、松田さんとの共演作のプランが幾つか進行していた。その中には、成瀬巳喜男監督の名作「浮雲」のリメークも含まれていた。「『浮雲』は無理だと思っていました。でも、亡くなった後、もしかして優作さんと一緒だったら、あの、地に落ちていく二人みたいなものもできたんじゃないか、という思いに取りつかれ、次の映画が考えられないほどの虚脱感に襲われました。(聞き手=立花珠樹・共同通信編集委員)

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