24日てんでんこ 皇室と震災Ⅱ【12】

朝日新聞2017年7月21日3面:険悪だった避難所の雰囲気。「両陛下がおいでになり、一瞬で笑顔に」 阪神・淡路大震災の発生2週間後の1995年1月31日、天皇、皇后両陛下の乗った自衛隊ヘリは午後4時前、震源地に近い兵庫県北淡町(現・淡路市)に着いた。すぐ近くの役場(現・淡路市北淡事務所)で小久保正雄町長(2010年死去)が迎えた。兵庫県を通じて、宮内庁からは「何もしなくていい、ありのままでお迎えください」と伝えられていた。警備のため動員された警察官は、町消防団のはっぴを着て、路地に目立たないように立っていた。
両陛下は隣接する町民センター(現・北淡センター)の避難所に移動し、一人ひとりに「震災で大変なことになりましたね」と声をかけまわった。「握手してください」と、天皇陛下の手を握る子どももいた。北淡町厚生課福祉係長だった宮本肇さん(62)は、「震災後1週間はでんやわんや、無我夢中だった。被災者は『助かってよかった』『命があるだけましだ』と言っていた」。しかし避難所での生活が一段落すると、みんな我に返る。家の再建、仕事や生活・・・・。不安になり、ストレスがたまっていった。
発生10日目ほどのある日、町長と避難所をまわると、被災者から「対策が遅い」などと怒鳴れた。つい町長も言葉を返し、険悪な雰囲気に。「そこへ両陛下がおいでになり、被災者に笑顔が戻った。こんなに一瞬で変わるものかと思いました」。小久保町長も退任後、著書「私のも言わせてよ」でこう振り返った。「避難所の空気が最悪の状態になっていたとき、本当に見事に絵でも見るように、お二人のお見舞は、バラバラになりかかっていた人々の心を和らげ、再び一つにした」
皇后さまは後日、訪問を歌に詠んだ。 被災せし淡路の島のヘリポートかのあたりにもよぎ萌えゐむ
両陛下が降り立ったヘリポート跡地には、震災4年となる99年1月17日、この歌をきざんだ歌碑が建てられた。北淡町や合併後の淡路市で震災復興や防災を担当した宮本さんは震災記念公園の総支配人を経て現在、語りべボランティアを務める。
震災から22年。子どもたちはみな震災後に生まれた世代となっている。「震災の教訓を語り継ぐことが大切。皇后さまの歌碑も、被災地の当時の様子を振り返るひとつのきっかけになっています」(北野隆一)

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