24日 語り残すわたしの8・15「下」

東京新聞2017年8月21日22面:京大名誉教授 益川敏英さん(77)政治の流れには乗らない 名古屋市昭和区に住んでいた1945年3月、大空襲に遭った。大きな音がして、自宅一階の土間に八角形の白っぽいものが転がった。長さは30センチくらいだったか。焼夷弾で、幸いにも不発弾だったが、もし爆発していたら死んでいたか、大やけどをしていた。家財道具と一緒にリヤカーに乗せられ、両親と逃げた。辺りは火の海。リヤカーを必死の表情で引くおやじの頬が、照り返しで赤くなっていた。うち以外はみんな焼けてしまったと後で聞いた。
ただ、まだ5歳になったばかり。二つの光景が写真に様に脳裏に焼き付いているが、それ以外は覚えておらず、当時は怖いとも思わなかった。ベトナム戦争の新聞記事で人が殺し合う現実を知り、怖いと思った。
第二次世界大戦では多くの科学者が動員された。原爆製造の責任者だったオッペンハイマー博士が水爆の開発に反対するようになったのは戦後、広島と長崎での原爆被害の大きさを知ってからのこと。戦時中、科学者は「自分たちの成果は自分たちの思う通りになる」と思っていたが、実際にはどうすることもできなかった。政治的な流れに巻き込まれてしまった。
今の日本でも同じ事が起こり得る。防衛省が軍事にも活用できる基礎研究を大学などから公募する制度の予算が毎年大幅に増額されているのは、その一例だ。僕は乗りたくない。2013年に特定秘密保護法が成立した。テレビで批判すると、外務省の役人が「恐れるようなことはありません」と研究室まで説明に来た。でも後になってから重大な結果に気付くこともある。僕はオッペンハイマーの話をしえ「この法律も同じだ」と反論した。
学生時代に師事した物理学者の故坂田昌一先生からは「科学者は科学者として学問を愛するより以前に、まず人間として人類を愛さなければならない」という言葉を贈られた。その通りだと考えている。だから、これからも戦争には反対する。

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