2月7日てんでんこ 伝える「19」日記

朝日新聞2019年2月1日3面:出来事を淡々と伝えた。「日々に追われ、ジャーナリズムの余裕はない」 岩手県釜石市の地域紙記者だった川向修一(66)は2011年4月上旬、市長の野田武則(65)から市災害対策本部に呼ばれた。勤めていた「岩手東海新聞」は1ヵ月前に起きた東日本大震災の津波被害で廃刊になった。「助けてくれない」と野田は言った。被災者に市からの情報がうまく伝えられない。最大で計1万人を収容した市内の避難所に、それまで届けられた情報はA3用紙4枚だけだった。新聞を復刊させてほしい。費用は国の震災関連の補助金を使う案もあるという。ただ、津波で輪転機を失った新聞社を再建するのは厳しい。川向は、解雇された社員らと新たな新聞社の立ち上げに傾く。出資30万円で合同会社を設立し、新たに「釜石新聞」を創刊した。社員は11人。記者経験者は川向と後輩の後川邦彦(65)だけで、元営業担当だった浦山奈穂江(43)も記者に転身させた。
第1号は震災から3ヶ月後の6月11日。それまでに判明した市内の犠牲者727人の名前を載せた。別の1㌻は市広報が占めた。願いをこめて題字前に「復興」と添えた。4㌻の新聞は毎回、市広報を兼ねた。週2回発行し、避難所や仮設住宅を含む市内の全2万戸に無料で届けた。新聞社の経営は緊急雇用創出事業の補助金に頼った。記事は政治や行政の課題などには切り込まず、出来事を「日記」のように淡々と伝えた。そのうち釜石に支援に入った人たちからの取材依頼が増えた。川向は気付く。「『領収書』代わりになっている」 支援者は地元に戻って、新聞で活動を報告していた。以来の目的を知っても、断らなかった。記事が次の支援の呼び込みにつながるならばと受け入れてきた。震災から半年後、東北3県で延期されていた統一地方選挙があった。川向は公職選挙法を所管する総務省に問い合わせてみた。補助金で発行する新聞で市広報も兼ねている。選挙報道で何か制約はあるか。選挙広告はダメ、だった。市の広報を兼ねているので公平を期すべしとの判断だ、と受けとめた。川向は今の自嘲気味によく言う。「普通の新聞ではない。日々に追われ、ジャーナリズムを意識する余裕はない」。復興のため、と奮闘してきた。その地域紙が復興の進展に伴って存続の危機を迎える。(山浦正敬)

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