2月8日サザエさんをさがして 朝鮮戦争

朝日新聞2019年2月2日be3面:不明機に警報 緊迫の福岡 この作品の最後のコマに「?」と思う方も少なくないだろうか。掲載は敗戦5年後の1950年。サザエさん一家や作者の長谷川町子さんが当時住んだ東京は、空襲の標的にならないよう電灯を黒い布で覆う灯火管制とは無縁になっていたはずだから。でも長谷川さんが子どもの頃や疎開時、敗戦直後を福岡で過ごし、「サザエさん」の連載も福岡の地元紙「夕刊フクニチ」で始まったことを考えると、さもありなんだ。掲載半月前の50年6月25日、朝鮮戦争が勃発した。連合国総司令部(GHQ)の占領下、対馬などを挟んで朝鮮半島と向き合う福岡は、国連軍として参戦した米軍の出撃拠点となった。当時の朝日新聞などによると、開戦4日後の29日夜に今の北九州市で警戒警報が発令、灯火管制が実施。「正体不明の飛行機」が1機、板付米軍基地に近づいたためだといい、福岡市で拡声機つきトラックが警告して回った。日経新聞によると熊本や山口・防府ではNHKが灯火管制を呼びかけた。長谷川さんはこうした記事などに接し、戦時を過ごした福岡の再びの緊迫に思いをめぐらせ、この作品を描いたのではないか。私(記者)の父(77)は福岡市出身で、基地近くの板付小学校にも通った。聞くと、当時は「昼夜とわずひっきりなしに米軍機が飛び、そのたび授業が寸断された。離着陸時の轟音はすさまじかったよ」。それまで親しみやすさを醸し出していた米兵らも一転、ピリピリ。ある日、米軍機が墜落、同級生一家が営む旅館の窓に人の手首が落ちて騒ぎになったという。朝鮮戦争といえば、経済復興を推し進めた「特需景気」とともに語られがちだ。51年1月放送のNHK「第1回紅白歌合戦」ではアナウンサーが「朝鮮戦争の特需景気もありまして(略)明るいお正月を飾る・・」と高らかにうたっている。
だが、福岡などでは「いま目の前で起きている戦争」。私が読んだ松本清張作品で最も衝撃だった一つは小倉の黒人米兵集団脱走・暴行を元にした『黒地の絵』だが、そうした事件もあって、『福岡県警察史 昭和前編』によると「極度の緊張に包まれ」、「戦争そのものは他人事ではなかった」。福岡だけではない。『山口県史 史料編 現代2』によると、北朝鮮軍が半島南端の釜山近くまで侵攻するや、当時の山口県知事、田中龍夫氏が外務省から驚きの電報を受けている。韓国政府が山口県に6万人の亡命政権を作りたいと希望している、とー。
『朝鮮戦争と日本』の編著者、大沼久夫・共愛学園前橋国際大学教授(68)は「亡命はマッカーサー元帥の仁川上陸作戦の奏功で立ち消えになったが、当時は具体的に検討していただろう」とみる。仁川上陸作戦には米軍所有の戦車揚陸艦(LST)の船員などとして現地の地理に詳しい日本人も「動員」、また海上保安庁の掃海艇も出動。それぞれ死傷者が出たが、しばらく伏せられた。全体像自体、なおわかっていない。大沼教授は「LSTは国連軍の軍事行動を支えた。日本は実質的な『参戦国』と言える」と指摘する。元毎日放送記者の西村秀樹・近畿大学客員教授(68)は日本で関係者約30人に取材したが、当初は口をつむぐ人も多かったという。「米国では『忘れられた戦争』と呼ばれるが、日本では憲法9条との矛盾で直視したくない『忘れたい戦争』だったのだろう」(藤えりか)
*写真は、朝鮮戦争が勃発した1950年、福岡市の板付米軍基地で米軍機が並ぶ様子=米軍提供

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