2月8日 和同開弥のみち(埼玉県秩父市)

朝日新聞2019年2月2日Be6面:揺るがぬ「最初の本格通貨」 日本最古の貨幣『富本銭』が出土」「『和同開珎説』覆る」古代史を塗り替える大ニュースが日本列島を駆け巡ったのは、20年前の正月気分も抜けきらない1999年1月19日のことだった。わが国最初の貨幣はそれまで、記者が歴史の授業でも習った「和同開珎」が通説だった。「日本書紀」に次ぐ勅撰史書「続日本紀」によると、708年に「武蔵野国秩父郡、和同を献る」とあり、元明天皇(661~721)がこれを祝って元号を「和銅」に改め、鋳造したとされる貨幣だ。だが、奈良国立文化財研究所(当時)による飛鳥池遺跡(奈良県明日香村)の発掘調査で、「まじない用」と思われていた宮本銭が、7世紀後半の遺物とともにまとまって出土したため、和同開珎に先駆けて造られた日本最古の貨幣だとわかったのだ。
このニュースを新聞各紙も翌朝、1面で伝えた。定説が崩れたことで、和同開珎ゆかりの和銅採掘遺跡(埼玉県指定旧跡)を観光の目玉にする埼玉県秩父市への取材攻勢も始まった。遺跡の保全や顕彰を行う秩父市和銅保勝会の前会長、若林好(88)も対応に追われた一人。「電話が鳴りやまなず、取材もひっきりなし。単刀直入に『和同開珎が負けましたね』と聞いてきた」と振り返る。悔しさもあって、「世の中に広く流通した貨幣こそが和同開珎。改元のきっかけになった和銅(自然銅)発見の歴史の重みは何ら変わらない」とむきになって答えたことを覚えている。 宮本銭はほどなく、教科書にも「日本最古の鋳造貨幣」(「新日本史」山川出版)として登場する。教科書を書き換える大事件だったのだ。では、和同開珎の歴史的な位置づけも下がったのか。「そんなことはありません」と否定するのは、宮本銭が『最古の貨幣だと突き止めた当の本人、松村恵司・奈良文化財研究所長(68)だ。「宮本銭は藤原京とその周辺の経済圏で流通した。和同開珎は、この経験をもとに全国に流通させようとして本格的に大量に発行された通過でした」。出土遺跡は北海道から九州まで784ヵ所に及び、銅銭の和同開珎は6311枚見つかっているという。
そのうえで、都が平城京に移される直前という時代背景から、新都造営のための財源になったと指摘。「和同開珎の発行は、平城京の造営、和銅改元とともに律令国家の形成のために欠かせない三位一体の政策だった」と解説する。最新の教科書でも和同開珎の扱いは、重要項目を示すゴシック体のまま。「新選日本史B」(東京書籍)は、「日本最初の本格的な流通貨幣」という説明とともに写真入りで載せている。
インスタ映えする観光地 和同開珎ゆかりの秩父路をたどってみた。JR熊谷駅で秩父鉄道に乗り換えて約1時間。最寄りの和銅黒谷駅は、山肌に「和銅」の文字が刻まれた祝山のふもとにあった。「和銅献上から1300年を迎えた2008年に盛大な式典があって、駅名にも記念に『和銅』の文字が加わったのです」。記者を迎えてくれた和銅保勝会の福島嗣幸さん(68)が誇らしげに言った。棚田の中の小道を上り、雑木林を抜けて15分ほど。視界が開けると、高さ約5㍍のどでかい和同開珎のモニュメントの前に出た。「あそこが和銅を採った露天堀りの跡です」。福島さんが指さす先は、むき出しの切り立ったがけで、荒々しい採掘の跡が山の上部へと続いていた。産出した銅は「にぎあかがね」と呼ばれ、純度が高く精錬が不要な自然銅だったとされる。
しかし、残念ながら和同開珎が鋳造された形跡までは地元で見つかっていないという。自然銅は都へ運ばれる途中、どこか別の場所で鋳造されたのだろうか。宮本銭が発見される前に建った巨大モニュメントには「日本通過発祥の地」とあった。和銅保勝会の若林さんは「先人が『通貨発祥』ではなく、流通した『通貨』と表現していたことで、正直ほっとした。あながち間違いとは言えませんからね」と複雑な胸の内を明かした。がけの前を流れる清流では、観光客が手のひらに小銭を乗せて洗う姿があった。「この沢で地元では、銅洗堀と呼び、掘り出した銅を洗っていた名残とされています。小銭を洗って財布に入れておけば金運が上がるようですよ」と福島さん。巨大モニュメントの前では、若い男女がスマートフォンをかざし、並んで写真に納まっていた。和銅採掘遺跡は、金運がアップし「インスタ映え」する人気の観光スポットでもあった。
和同開珎の話に戻ろう。この銅銭1文は、平城京造営のための1日分の労賃に相当し、原料の3~5倍になる高い価値が与えられたという。そのうまみに目を付け、早くもニセ金を造る者が現れる。発行開始から3年後の711(和銅)年んは、ニセ金づくりに対して、「斬」(死刑)という思い刑罰もできたのにもかかわらずニセ金は横行。半世紀後、新しい銅銭にとって代わられる原因の一つになった。千年の時を超え、偽造防止技術はどんな進化を遂げたのか。気になって、同じ武蔵国にある造幣局さいたま支局(さいたま市)を訪ねた。電子部品を扱うように厳密に管理された工場内では、ベルトコンベヤーで運ばれた無数の薄円板が次々に、圧印機でプレスされると同時に偽造防止の加工も施される。排出口近くのモニター画面で職員が500円硬貨の誕生をチェックしていた。「1分間でできるのは750個ほど。最後は人間の目が頼りです」と岩崎光男さん(61)。高額な500円硬貨が初めて登場したのは1982年。当時は韓国の500ウオン硬貨を自動販売機に投入して釣り銭用の500円硬貨を盗む事件が相次いだのをきっかけに2000年、材質をニッケル黄銅に変え、様々な偽造防止技術が施されたという。
「500円硬貨の側面のギザギザは斜めに入っているのを知っていましたか」と岩崎さん。この「斜めギザ」こそ、貨幣をひねりながら金型から取り出すことで実現した特殊技術。大量生産型の貨幣に導入するのは世界初で、特許も取得しているのだ。ほかにも、見る角度で数字の「0」の中に「500円」の文字が見え隠れする「潜像加工」や、「日本国」「五百円」の文字の周りに扇状に髪の毛よりも細い線を刻んだ「微細線」、桐の葉に目に見えないほどの穴加工をした「微細点」が施され、偽造を防止している。和同開珎などを鋳造した役所は鋳銭司と呼ばれた。秩父の山から和銅をはるか都まで献上した、いにしえの人々が「現代の鋳銭司」の偽造防止技術を目の当たりにすれば、きっと腰を抜かして驚くに違いない。電子マネーやネットバンキング、仮想通貨といった新たなお金の存在を知ったら、いったいどんな顔をするのだろう。 文・進藤健一 写真・池田良  *写真は高純度の自然銅を産出した山間。モニュメントでは、御利益を求めて手を添える人がいた=埼玉県秩父市

 

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