2月6日てんでんこ 首長たち「6」

朝日新聞2018年1月27日3面:町長を退くことを決めると、知事も借家まで訪れて慰留した。参院選で自民党が圧勝した2013年7月21日、福島県の被災地の町で町長選があった。大熊町の隣の富岡町で、5期目をめざす現職の遠藤勝也(当時73)と新顔の候補が争った。敗れたのは遠藤だ。57票差だった。原発の事故でともに全町避難を強いられ、遠藤のことを「戦友」と思っていた大熊町長、渡辺利綱(70)は慰労会をした。「やっと解放された気分だ」
渡辺の前で、ほっとした表情で、そう語った遠藤は、その1年後にがんで亡くなる。すでにこのとき、2期目の渡辺は「町の再生の道筋はつけた」と、この任期限りで退くことを親しい職員に明かしていた。そんな14年暮れの忘年会。町の課長たちは渡辺に頭を下げ、続投を求めた。県知事の内堀雅雄(53)もその夜、会津若松市にある渡辺の借家のアパートまで訪れて慰留した。
国の政治家や役人も、引き留めようとした。国が描く帰還政策と共同歩調を取ってくれる渡辺は、代えがたい存在だったからだ。大熊町とともに東京電力福島第一原発の地元でもある双葉町の町長、井戸川克隆(71)は対照的に「人が住めないところに住ませようとするのは犯罪だ」と、国と対立した。町議会から不信任を決議された末、自ら辞職し、町は混乱した。渡辺は住民説明会で「国のいいなりだ」と批判も受けた。だが、声を大にしたところで物事が進むわけではないと考えていた。原発事故の翌年、大臣の一人から、こう打ち明けられたことがある。
「町長、申し訳ない。国とって初めてのことなので、追いつかないんだ」国の対応の遅さにもどかしさと不満を感じていたが、のみ込んだ。15年春、中間貯蔵施設への汚染土の搬入が始まり、町の復興計画を策定すると、「次の選挙は出ない」と表明した。町はなくなってしまうのかと頭によぎるときもあったが、最悪の事態は乗り切ったとの自負があった。だが、候補と目された人たちは尻込みした。その年の秋の選挙に結局立ち、無投票で3選された。事務所で支持者から促されても渡辺は万歳をせず、記者たちに言っ。「思うようにはいかないもんですな」 (池田拓哉)

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