2月6日てんでんこ 伝える「18」恩師

朝日新聞2019年1月31日3面:「何をやってんだ。情報を届けるのがお前だろう」。元記者に声が飛んだ。 岩手県釜石市のふるさと納税で昨年8月、異色の返礼品が追加された。週2回発行される地域紙「釜石新聞」だ。寄付に応じて最長1年間、郵送で新聞が届く。「本当に申し込みが来るとは・・」編集長の川向修一(66)は、妻の実家だった一軒家の2階に間借りする「本社」で驚く。それも5件も、という。東日本大震災から8年近くがたつ。川向は寄付の主たちを想像した。
「かつて支援に来た人かな。復興ぶりを確かめたいのかもしれない」 4㌻の釜石新聞の発行部数は4千数百。市の世帯数は約1万6500なので、ほぼ4世帯に1世帯が読む計算だ。約100部は首都圏などの読者に郵送する。川向ら社員10人の大半は震災に遭うまで、地元の「岩手東海新聞」に勤めていた。1948年創刊の地域夕刊紙で、主に釜石から宮古市の三陸沿岸部のニュースを伝えた。その新聞の記者6人のうち2人が津波で犠牲になった。輪転機も水没し、そのまま廃刊に向かう。残った記者らも一斉に解雇された。自宅も被災した川向は気力を失う。「記者人生は終わった」震災から2ヵ月近くたった大型連休中の5月6日、ようやく市内に完成した仮設住宅への入居が始まったところだった。天皇、皇后両陛下が釜石中学校の体育館を訪れた。そこで避難生活を送る98人を励ますためだった。元記者の川向が、「市広報」の腕章を巻いてカメラ取材していた。
避難所での撮影を許されたのは、大手新聞・テレビなどの代表と市広報だけ。川向は市広報の立場を借りて臨んだ。両陛下を一目見ようと集まった人たちの間から聞き覚えのある声が飛んできた。「お前、何をやってんだ」80歳を超えた中学時代の恩師だった。「新聞がなくなり、私らには情報が一切来ない。それを届けるのがお前だろう」被災地発の報道はあふれていた。だが、被災者が必要な身近な情報はほぼない。地域紙のある生活が当たり前だった釜石では、余計に市民は情報不足を感じていた。その1カ月後に川向らが釜石新聞を創刊する。きっかけは、地元県立高校の同級生である市長からの呼び出しだった。(山浦正敬)

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