2月3日てんでんこ 伝える「16」対権力

朝日新聞2019年1月29日3面:大槌新聞・FM・ウェブの融合。その構想は町長交代とともに消えた。 東日本大震災後、岩手県大槌町で「大槌新聞」を1人で書き始めた菊池由貴子(44)。同じく震災後に開局した臨時災害FM局で、記事を読んで解説する番組を始めた。町内では他にインターネットで生活情報や町の復興状況を映像で流すNPOも生まれていた。メディアミックスという言葉さえ知らなかった菊池だが、「一緒にやれば、それぞれ取材した素材を共有したり、効果的に伝えたりできるのでは」と考えた。
当時の町長、碇川豊(67)は、行政のスリム化をにらんで官民連携のメディアを構想し、ケーブルテレビや町の広報誌を民間に委託することも視野に入れていた。それを知った菊池は2013年11月、町長宅を訪れ、神に構想図を描いて考えを語り合った。一方で、菊地は町長の記者会見で復興事業の遅れを指摘したり、不祥事を追及したりして詳報するようになった。議会でも「大槌新聞によると」と引用さえるようになった。碇川は不愉快なこともあったが、「耳の痛いことを書かれても、町がよくなればいい」と役割を認めた。14年9月、碇川が命じて「大槌町情報発信のあり方研究会」が発足した。菊池のほか、災害FM代表やウェブサイトの運営者も参加した。
菊池は翌年度にも新たな仕組みができると期待していた。だが、町の職員には荒唐無稽な話に思えたようだった。研究会は先進事例の勉強会のような内容が続き、菊池たちは独自の官民連携の構想を提案した。しかし、職員は乗らず、何の結論も得ないまま半年で会は閉じてしまった。業を煮やした菊池たちは、大槌新聞と災害FMを一体運用する一般社団法人「大槌メディアセンター」を設立。15年夏、町長選や町議会を合同で報道した。町が選挙公報を出さないので町民の貴重な判断材料になった。
ところが、町長選では、碇川の部下だった平野公三(62)が碇川を破って新町長になった。平野は「町の事業が過積載だから、復興が遅い」と見直しを進めたが、ハード事業は残し、大槌新聞や災害FMのための助成金は打ち切ってしまった。運営費を全面的に町に頼っていた災害FMは16年春、閉局した。菊池は「復興半ばの今、大槌新聞をやめるわけには」と、広告や寄付を全国から集めた。
(東野真和)

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