2月27日 耕論 沖縄県民投票の意味

朝日新聞2019年2月21日17面:沖縄・辺野古の海の埋め立ての是非を問う沖縄県民投票。法的拘束力もなく、「どちらでもない」も含む3択だ。安倍政権は日々、工事を進めている。それでも投票をする意味とは。
民主主義 全国民への問い 柳川喜郎さん 元岐阜県御嵩町長 政治家を選挙で選ぶ間接民主制は、その政治家にすべてを白紙委任しているわけではありません。地元で大きな問題が起きた時、民主主義の原点に立ち返り、住民全員の投票で決める。そういう手段はあっていいと考えています。御嵩町は、岐阜県東部の小さな町です。町長に就任した時、「東洋一の規模」という産業廃棄物最終処分場を造る計画が水面下で動いていました。町長の私が手続きの凍結を訴えても、計画に待ってくれません。私は住民投票を検討するようになりましたが、1996年10月に暴漢に襲われ、一時重体に陥りました。
犯人はわかりませんでしたが、住民投票を嫌がる勢力がいたことは確かです。逆に住民が奮い立ちました。私は入院中でしたが、住民が署名を集め、97年1月に住民投票条例が成立したのです。投票までの5カ月間、町内41カ所で説明会を開きまました。町は産廃業者から35億円の協力金を受け取る秘密協定を交わしていましたが、それもすべて公開しました。住民一人ひとりが最良の判断を下すためには、正確な情報が必要だからです。
投票率は87.50%。そのうち反対票が約8割を占めました。最終的に計画を撤回させる原動力となりました。住民投票が万能だとは言いません。政争の具にしたりすれば、かえって民主主義を危うくする。でも正しく使えば民主主義を鍛えてくれます。御嵩でも、処分場予定地に近い小さな集落での説明会で、子育て世代の女性が言いました。「反対している人たちの気持ちはよくわかる。でも、私たちは業者さんに、本当にお世話になっている」。業者は長年、地域の行事に酒食を提供するなどして、「地元の理解」を得ていました。苦しそうにうつむく女性を前に、私もつらい気持ちになりました。でも、これが民主主義なのです。しがらみが多い中、自らの良心に問うて選択することは、みんなしんどい。時間もお金もかかる。でも、そのコストを惜しまずに、たくさん手間をかけて、みんなが真剣に悩む。それが重要なんです。沖縄でも、基地問題を考えることは苦しいはずです。しかも政府は辺野古への土砂投入を強行し、移設が必要だという説明責任を果たしていない。へこたれておかしくない状況なのに、県民は2度目の県民投票を行おうとしている。沖縄の民主主義んたくましさには本当に敬服します。そもそも、沖縄で2度も県民投票が行われること自体が、政府の失敗を何より証明しています。この国の民主主義はさび付いているのではないか。全国民が自らに問いかける契機とすべきです。(聞き手・上遠野郷)
「負けぬ」意思表示の一票 新城和博さん 出版編集者 選挙や投票にまつわる風景は、その地域のありようを映し出します。派手な色のポスター、横断幕やお祭りのようなのぼりなど、沖縄は独特と言われますが、投票所に三々五々集まる県民の様子を見ると、僕はなんだかしみじみします。一人ひとりが確かに今後の沖縄のことを考えている。その静かな風景は何げないものですが、やっぱり大切にしていきたい。今回の県民投票の象徴は若者です。政党や団体に頼らず活動し実現させた。新しい「風景」です。僕は署名活動が始まる前まで実施に消極的でした。沖縄全体が選挙や法廷闘争などで疲れている状況の中、なぜ改めて県民投票なんだろうか、と。しかし僕らの世代は2度目でも、10~30代の若い世代には初めての県民投票です。有効署名は9万筆超が集まりました。普段は政治の話は避けがちですが、若者の「沖縄をよくしたい」という思いを無駄にしてはいけないと多くの大人が感じた結果でした。
基地問題をめぐり沖縄には保守・革新という違いはあっても、対日本政府となるとまとまることがあります。県議会各派が歩み寄って条例を改正し全県実施にこぎつけたことはその表れです。この現象の根っこには、沖縄戦という共通の基盤があります。僕の母親は渡嘉敷島の集団自決の生き残りです。戦争を体験せずとも、家族の語りとして受け継がれている。様々な人の犠牲の上に自分が立っているという歴史感覚を無意識に持っています。だからこそ、戦後に造られた米軍基地の問題は、皆で何とかしようと思うのです。最も象徴的なのが1995年の米兵による少女暴行事件に抗議する県民大会でした。怒りが沖縄を覆い、翌年の県民投票につながります。テーマは「米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直し」。この時の風景も独特でした。那覇市の商業施設前に、投票権のない16~19歳の若者の模擬投票所が設置され、「自分も投票したい」と続々と足を運んだ。「何かが変わるのでは」と感じたものでした。
今回のテーマは、沖縄の米軍基地の「整理・縮小」から「辺野古基地建設」に変わるという、摩訶不思議なことが起こっている。本来なら沖縄の基地負担が減り、県民投票をしなくてもいい状況であるべきですが、そうなっていないのは政治の責任です。僕は個人的に今回の県民投票は、翁長権勢から玉城県政に変わったいま、何があっても負けないという意味を示す意義があると考えています。何も意思を示さず基地が造られてしまえば、沖縄が初めて自らの意思で新しい基地を受け入れたという歴史になりかねない。とても大切な一票になると思います。(聞き手・伊藤和行)
無視されても後世に影響 坂井豊貴さん 慶応義塾大学教授 今回の沖縄県民投票は「どちらでもない」という選択肢を加えた3択にしないと、全県投票が実現できませんでした。投票を実施したい側に、3択という苦渋の選択をさせたわけです。私は(のませた側が)「いじわるだな」という感想を持ちました。卑劣とまでは言わないけれど、ずるくて姑息。「いじわる」はそんなニュアンスです。住民投票の目的は二つあります。一つは「決めること」ですが、今回は何かを決める穂的な力はないので、もう一つの「意思表示する」という目的が重要です。県民の意思を示し、本土も含めた第三者にはっきり伝える。そのために、投票結果が明確なメッセージとなることが重要です。「どちらでもない」は、そもそも何を意味するのか不明です。人がこの選択肢に何らかの思いを込めても、第三者には分かりません。解釈しにくいし、恣意的な解釈がしやすくなるとも言えます。
「どちらでもない」に投じられた票は、賛成派は賛成よりに、反対派は反対よりに解釈したくなるでしょう。三つ目の選択肢を入れることで、結果が分かりにくくなるようにした。その狙いが「いじわる」だと思いのです。何かを選ぶとき、人間は中間的な選択肢があると、そちらに行きがちであると行動経済学は教えています。うな重の「松」「竹」「梅」なら「竹」に集まる。だからマーケティングでは、「上」を売りたいなら「特上」をつくり、「上」を中間に見せる、が有効な戦略です。中間の「どちらでもない」は、そういう心理的な誘導を起こしかねない、という意味でも問題なのです。ただ、人々が強い意思を持つなら、誘導の効果は限定的でしょう。今回の投票について、「やる意味がないのでは」という意見があります。昨秋の県知事選で「辺野古移設反対派」の玉城デニー氏が当選し「もう民意が出ている」からという論です。ただ、「代表」を選ぶ投票と、「政策」を選ぶ投票は全く別物ですから、この意見は間違っています。
また、先日参加した沖縄でのシンポジウムでは、「どんな結果が出ても日本政府の方針は変わらない」と、投票の意味を疑問視する元市議の方がいました。私はその場でこんなたとえを出しました。もし私が誰かに殴られて続け、そのまま無抵抗でいれば「あいつは喜んで殴られていた」と言われるかも知れない。しかし、殴られつつでも抵抗したならば、そうは言えなくなる。その抵抗は記録されて歴史になり、後世に必ず影響を与える、と。 3択になったのは残念ですが、たとえ投票結果が、政府に完全に無視されることになったとしても、意味がないとは全く思いません。(聞き手・中島鉄郎)

 

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